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「変わること」とは「変わり続けること」



人と言うものは、たいてい、人生の中のある時、自分が「変わって進歩した」と思っているんでしょうね。

自分のことを、『全然進歩していないなぁ』と思える人って、そんなに居ないように思います。
”言うだけ”の人は結構いるかもしれないですけどね。


でも、これが「変わり続けること」と言う話になると、『変わり続けていますよ』と言い切れる人は、これもまた、そんなには居ないように思うわけです。


そこで、思うことなんですけど、いま現在、「変わり続けていないもの」を『変わった』ということに意味があるのか?と言うことなんですね。

「前は、〇〇だったけど、今は△△だ。」と言うときに変わったということに成るわけですが、「前」と「今」が違うことに、どれほどの意味があるのか?ということですね。

何か「一つの目標」に向かっているという前提であれば、「前」よりも「今」が、その「目標」に近ければ、意味があるということに成るのでしょう。
それを「進歩」と言うわけですね。

でも、そういう「一つの目標」に向かっているということでないのであれば、「前」と「今」が違うということには、それほど意味がなくなってしまうんだと思うわけですね。

要するに、「進歩」ということ自体がほぼ無いということですね。


そして、そういう考え方をした場合、下から上へ登ろうとして「変わること」ではなくて、同じ平面上で、動き続けることとしての「変わり続けること」の方が、意味が大きいということに成るんじゃないかと思うのです。


何かのきっかけで『変わった』と言う話を聞くことが、けっこうありますけど、せっかく『変わった』のに、その場で止まってしまったら意味ないんじゃないですか?と言うケースが多いように思うわけです。


「一つの目標」に向かうことに、あまり意味がないという前提で言えば、現在「変わり続けていること」にしか意味はないと思うわけです。
つまり、その「方向性を持ったエネルギー」にこそ、意味があるわけで、いくら「前」と「今」が違っていても、「止まっているモノ」には、そういう「方向性を持ったエネルギー」は、もうなくなってしまっているわけです。


そもそも「変わること」というのは、そういうことなんじゃないかと思うんですよね。

その「エネルギー」のことを指して言っている言葉なんだと思うわけですね。


それで、『あの時から変わった』と言う人が居ると、『それで、今はどうなんですか?』と聞いてしまうわけですが、たいてい、すごく嫌な顔をされます。


止まっている時に、自分が「止まっていること」を認めないで、過去に「変わったこと」について語っていると、もう、それ以降は、変われなくなってしまうと思うんですね。


だから、いま停滞している時は、取り敢えず『自分は今止まっているけど、動きたいんだ!』と思うことがイイんじゃないかなと。
(いや、『動きたくないんだ!』でもいいんだと思いますよ)


そんな風に思っています。




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