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「一億総精神疾患時代」



だいぶ昔の話になりますけど、「一億総ハクチ化時代」ということが言われたことがあったと記憶しています。

 ※「ハクチ」と言う言葉を使ってもいいものかどうかわかりませんが、
   差別的な意味は含まれていませんのでご容赦ください。


日本で、いわゆる「戦後」が長く続いて来て、「平和ボケ」のような状態に成っていたことを言っていたんだと思うわけですが、実際に、「考えない人」が増えたことは確かなことだったんでしょうね。

ただ、そういう人はある程度、いつの時代にも居たんじゃないかとも思います。
違うのは、それまでは”否定”されていた「考えないこと」が「時代」に”肯定”されてしまったことだと思います。


それはともかくとして、今や、時代は「一億総精神疾患時代」に突入したと思うわけです。
(もう「一億」をだいぶ超えているらしいですけど)

つまり、日本人全体が、何らかの「精神疾患」になっているように感じることがあるんですね。


しかも、「一億総ハクチ化時代」が、本当にみんな「ハクチ」になってしまったわけでもなかったのに対して、現在の「一億総精神疾患時代」は、本当です。

決してオーバーな話でもなくて、本当に「鬱病」や「〇〇症候群」の人は、身近にもたくさん居て、さらには、「自殺」までも、今では稀なことではなくなってしまいました。

また、一見すると精神的に健全にしか見えない人が、『朝起きると、涙が止まらないことがあるんですよぉ』なんて言っているのも聞いたことがあったりします。

本人は、まったく気づいていない場合もあるようですが、客観的に見ると『それ、どう見ても、ヤバイでしょ』と言う感じですよね。


また、いわゆる「バリバリ」側の人も、「精神疾患」から遠い位置にいるのかと言うと、必ずしもそうでもなくて、その時は「バリバリ」働いていても、いつの間にか「パリパリ」とコワレテ行ってしまうなんて言うケースもよくあったりします。
(「燃え尽き症候群」のような人ですね)

それから「バリバリ」から「ガリガリ」になって、しまいには「ゴリゴリ」になって、オカシクなっているのに、自分では止められないというタイプの人もよく見ます。
何かに憑りつかれてでもいるような感じですね。
(いわゆる「パワハラ上司タイプ」ですね)

そういう人は、いつも苛立っていて、周囲を自分の”フキゲン”に巻き込んでいってしまうので、周りの人も病んでいきます。
そして、また、その「病」が、発信元である本人に帰って行くわけですね。

いずれにしても、日本の社会全体に「精神疾患」を作り出す土壌が出来てしまっているんだと思います。
(これは日本だけでなく、世界的にも言えることだと思います)


だから、いま、たまたま「精神疾患」から距離のある位置に立っている人も、完全な「安全圏」に居るとは言えなくなってしまっているんだと思います。


そうはいっても、いま現在「病的な状態」にない人は、『たぶん、自分は大丈夫かなぁ・・・』と思うでしょうし、私もそう思っているところもあります。
でも、その思い込みが、たいした根拠のないものなんじゃないかとも思います。


とくに日本などの東洋の国の人は、現在、世界が「西洋基準」で回っていることで、必然的に、もともとの「東洋基準」との間に「ダブル・スタンダード」を抱えることに成っています。


「ダブル・スタンダード」は、なにも「東洋」と「西洋」に限ったことではありませんから、この状況は日本や東洋に限ったことでもないと思いますが、現在、東洋の主な(すべての?)国々では、「東洋基準」を残しながらも、常に、「西洋基準」が優位な状態です。
従って、「社会」が人に「ダブル・スタンダード」を強要していて、さらには、それらの「基準」が、常にその時々で恣意的に使い分けられてしまいますから、それは「ダブル・バインド」を生み出してしまっているわけです。

「精神医学」では、強い「ダブル・バインド」を加えられて育った子供は、「精神疾患」を発症する可能性が高いと言われるようですが、「社会全体」によって作られる「ダブル・バインド」ですから、これは、かなり強力なんだろうなと思うわけです。


そういうことで、「一億総精神疾患時代」が到来してしまっているわけですけど、その結果、本来は「精神疾患」から遠い位置にいるはずの人まで、「精神疾患」の最前線に放り込まれている状態になっているわけです。


本来は「社会の真ん中あたり」にいる人というのが、もっとも「精神疾患」から遠い位置にいるハズなんだと思うわけですが、その「社会の真ん中あたり」こそ、最も強力な「ダブル・バインド」に拘束されている場所でもあるわけですから、もう、「安全な場所」というのがなくなってしまったわけですね。


そうして、今に至って、最も重大な問題は、「精神疾患」自体というよりも、「病的な状態の人」が「主流」を占めるようになったことです。

あまりに数が多くなってしまったので、「主流」になってしまったわけですね。
それで、本人も気が付きにくくなっているんだと思います。

みんなが「精神疾患」ですから、「突出した逸脱」さえしなければ、本人も周りも、まったく気付かないでいられるわけですね。
(最近では、かなりの「逸脱」でも「正常」の範囲とされつつあるるように感じます)

そして、その結果、「精神疾患」を抱えた人が、それに気づくことすらない状態で、さらなる「精神疾患」の種をまき続けているわけです。

現在では、「精神疾患」の「自覚」がある人の方が、むしろ”マシ”で、「自覚」のない人の方が、状態は”シンコク”なのかも知れません。

この「現代の病」に対しては、「医学」も「宗教」もほとんど無力だと思います。

「医学」は「社会全体」を治療することはできませんから、根本的には改善しません。
むしろ「社会」に順応するための治療こそが「医学」の目的ですから、「社会全体」に「ダブル・バインド」がかかっている状況では、そこに順応しようとすれば、かえって悪くなる可能性も高いんじゃないでしょうか?


「宗教」は「信じる人」と「信じない人」に分かれてしまいますから、「信じない人」には無力ですし、「信じる人」にとっても、シェルターのような働きはするでしょうが、そのシェルターから出ると、元に戻ってしまいます。
つまり、「信じ続けるしかない」ということになってしまうわけです。

『信じ続ければいいじゃないか』と言われれば、そうかもしれませんが、「信じない人」は、ますます疎外されていくでしょう。
そうなると、『信じないといけない』になってしまいます。

それは、もう「宗教」でも「信仰」でもないでしょう。


病んでいるのは「社会全体」ですから、その「社会全体」に、何らかの方向転換が必要なんだと思います。
でも、「政治」は何も変えられませんから、もちろん論外でしょう。

「政治」には、「社会」の向いている「方向」に沿った枠組みを作ることはできますが、その「社会」の向いている「方向」を変えることはできないものでしょう。

というよりも、「政治」が「社会」の「方向」を決定することは非常に危険なことだと思います。


こういうことが出来るのは、「芸術」と「哲学」だけだと、私は思っていますが、その「芸術」や「哲学」もまた病んでしまっています。


キリがありませんね。

『話が長すぎ!』なので、次の記事に続けます。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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