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「究極の快楽主義者」



「快楽主義者」と言うと、一般的には、取り敢えず「楽しいこと」や「好きなこと」を好んで、「辛いこと」や「嫌なこと」を好まない人のことを言う場合が多いと思うのですが、最終的には、「快楽」に溺れて「破滅的な末路」をたどるというようなイメージもあるんじゃないかと思うわけです。

でも、その結果、「辛いこと」や「嫌なこと」を強いられることに成るんだとしたら、『それって、本当に快楽主義なんでしょうか?』と思ってしまうわけなのです。


少なくとも、ほとんどの場合、「破滅的な末路」とまでは言えない場合でも、『あぁ、このままやっていると、結果的に苦しくなって行くんだろうな』ということぐらいは、どこかの時点で、本人にもわかっていると思うんですけど、それでも、「目先の快楽」を追い続ける人のことを、果たして「快楽主義者」と呼べるのだろうか?と言う疑問が出て来るわけです。

もしも、本人が十分に「辛いこと」や「嫌なこと」に成ると自覚していながらも、そこに向かって行くのだとしたら、それは「快楽主義」ではなくて、単なる「破滅型」ということなんじゃないかと思うわけですね。


そこで、「真の快楽主義者」とはどんな人なのかということに成るわけです。


「真の快楽主義者」とは、「最終的な結果」を「楽しいこと」や「楽なこと」に持っていこうとする人なんじゃないのかなと。

少なくとも、「最終的な結果」が予測された時点で、それに合わせて行動を修正する人が、「真の快楽主義者」なんじゃないかと思うわけです。


例えば、美味しいものをたくさん食べるという「快楽」は、毎回、お腹がすいてから食べれば、長続きできますけど、お腹がすいていないうちに食べていれば、どんなものも美味しく感じなくなってしまいますから、結果的に美味しいものが食べられなくなってしまうということですね。


これは、他のどんなパターンにも、だいたい当てはまっていて、適度な「苦痛」や「我慢」がないと「快楽」は継続できないんじゃないかと思うのです。


そして、その「苦痛」や「我慢」を、「快楽」のための「過程」として「楽しいこと」と捉えたり、「快楽」を増幅するための手段として捉えたりする人こそが、「真の快楽主義者」の中でも、更に「究極の快楽主義者」なんだと思うわけです。


例えば、のどが乾くまでジッと待ってから、良く冷えた飲み物を飲むときに(なんか、「例え」がかなり地味ですが)、その「ジッと、待っている時がとても楽しい」と思えるというようなことですね。
(まぁ、『遠足に行く前の日が一番好き』って言うことですね)

ただ、ここでハマリすぎてはいけないわけです。
あくまで、「修行」ではなく「快楽主義」ですから、「快楽」を追究していかないと、モトノモクアミですよね。

だから、その辺の所を、どのぐらい我慢するのが、一番キモチイイのか?と、バカバカしいくらいに真剣に研究したりするような、そういう人ですね。

出来ることなら、そんな「究極の快楽主義者」に成りたいなと。


そんな風に思うわけなのです。


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