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人が「真実」を恐れる理由



人は「真実」を嫌うものだと思うわけですけど、なぜ、「真実」をそんなに嫌うのだろうかと考えるわけです。


『いや、そんなことは無い!人間は真実を嫌ったりするとは言えない!!』と主張する人もいるかもしれませんよね。

そういう考えもあると思いますし、そういう人だっているとは思います。


でも、やはり、完璧な人間は居ないわけですから、その自分の中の「完璧じゃない部分」や、自分には「到底理解できないこと」があるということ、については、普通の人は見たくないものなんだと思うわけです。


と言うよりも、「見たくない」なんてナマヤサシイものじゃなくて、どちらかと言うと、「絶対に見たがらない」と言うのに近いんじゃないかと思います。

要するに、それは、「真実を恐れているから」なんだと思うわけです。


一体、何をそんなに恐れているのかと言えば、「自己のアイデンティティーが崩壊してしまうこと」なんだと思うのです。


つまり、人間は、「真実」を見てしまって、それを自分が認めてしまうと、自分の中の価値観が崩壊して、今立っている足場を失ってしまい、さらには、自分の存在すらも希薄になり、『生きている実感を失ってしまうに違いない』と思っているんだろうということですね。

たぶん、実際には、そんなことは起き無いんでしょうが、そう思っている人がとても多いとしか思えないほど、人が「真実」を恐れているのは確かなことでしょうね。

とは言っても、本人がそれを意識しているわけではなく、そう思っている人は、ごく当たり前のこととして、無意識に「真実」を忌避しているんだと思います。

そして、これがどうもよくないことなんじゃないのかなと思うわけなのです。


でも、これは当然と言えば当然のことだとも思います。

なにせ、ちょっと考えただけでも、『自分が存在している理由なんて、何もない』っていうことには、すぐに行き当ってしまいますし、『宇宙や世界の真理なんて、何もわからない』ということだって、みんなどこかで知っています。

そんな中で、目標を失わずに生きていくなんて、とても出来ないと思うのは当然と言えば当然のことですよね。


でも、実は、これはまったく恐れるようなことではないわけで、実を言えば、その『恐れる必要がない』ということも、みんなどこかでは知ってるんじゃないかと思うわけです。


ところが、その『恐れる必要がない』と言う部分が意識されることは、ほとんどありません。

その前に避けられてしまうために、なんとなく適当に『そんなこと考えたってしょうがないんだ』と言って「思考を停止」してしまうわけですね。

それで、「不完全な自分」や「理解できないこと」を「むやみに恐れること」だけが、意味もなく強く残ってしまうのでしょう。


確かに、「真実という箱」を開けてみたら、中は「真っ黒」だった。
しかも、いくら光を当てても全部吸い込まれてしまって何も見えない。

と言うのは、とても恐ろしいことでしょうから、あまり見たくないと思うのも当たり前かもしれませんが、その反面、いつでも「現実」はそこにあるわけで、そちらに目を戻しさえすれば、ちゃんと光を照り返してくれる世界がそこにあるわけです。
だから、ことさらに「真実」を恐れる必要もないわけで、また、ひたすら真っ暗な「真実という箱」の中をのぞき続けることにも大した意味はないのだと思うのです。


むしろ、そこで「真実」を恐れてしまって、「思考を停止」してしまって、まったく見ないようにしてしまうことによるマイナスが、とても大きいように思うわけです。


「現実」も、また、一つの「真実」なわけですから、ことさらに、「真実」を忌避していると、しまいには「現実」すらも見失ってしまうことにも成りかねないわけですから、出来ることなら、「真実」を恐れずに、少し気軽に見ていくのがいいんじゃないかなと。


そして、たまたま、「真っ黒なところ」に行き当たったら、一応確認する程度で、やり過ごしてやればいいんだと思うのです。


そこは、そこで、気が向いたら考えてみればいいと思いますけど、考えても、そこには結論など無いわけですし、それも、みんな知っていることなわけですから、そこに、力を使っても、なにかが得られるというわけでもないでしょう。


まぁ、「哲学的な真理」や「宗教的な悟り」を追究する人が、そこに取り組むことは無駄ではないと思いますが、その辺に全ての人が興味を持つわけでもないでしょうから、そういうことに特に興味がない人は、その「真っ黒な箱の中」をじっと見続ける必要はないと思うわけです。


それよりも、そこを忌避するがために、「思考を停止」してしまうことがよくないように思います。

先ほども述べたように、ちょっと考えただけで、すぐに「真っ黒な箱」に行き当たりますから、そこで「思考を停止」するということは、ほとんどなにも考えないことになってしまうわけで、それでは、「考える生き物」である人間としては、不十分なんじゃないかなと思ってしまうわけなのです。


そういうわけで、人が「真実」を恐れる理由なんて、もう、何もないと思うので、「自分の中の真実」を気軽に見られるように成ればいいんじゃないのかなと。


そして、それが「人間への入り口」なんじゃないのかなと。

そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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