FC2ブログ

「意味の塊(カタマリ)」を創り出したいのです



私は、「創作」に当たって、いつも「意味を創り出すこと」を考えているわけです。
それで、その「意味」って何なんだ?ということです。


例えば、「花の絵」を描くときに、「その花」を、そのまま写し取ろうとすれば、「その花の美しさ」自体が、「その絵の意味」に成るんだと思います。


でも、そこで、「本物の花」よりも「もっと美しく」描こうとしたり、「もっと力強く」描こうとしたりする場合、「その絵の意味」は「その花の美しさ」だけではなくなってくるんだと思うわけです。

つまり、そこに「新たな意味」が創り出されたということに成るわけですね。


こう言うと、「写実」には「意味」がないという話に聞こえてしまうかもしれませんが、決してそういうことではなく、「写実」にも「意味を創り出す領域」はあると思いますが、その範囲が限定されるということでしょう。

逆に言えば、出来るだけ「モノの形」や「モノの色」に頼らなければ、その分、「意味を創り出す領域」が広くなるということではあると考えています。


そして、この「意味を創り出す領域」を広げることこそが、私の考えている「抽象芸術の目的」でもあるわけです。

つまり、出来るだけ「何もない状態」に近い所から「意味を創り出すこと」が出来れば、それが一番ウレシイということですね。


「現在の芸術」という分野は、「自己表現」のためにあるのだと思うわけです。

そして、「自己表現」のためには、「如何なる意味を創り出すのか?」ということが、大きな割合を占めるようになるんだと思っているわけです。


要するに「その花の絵」の中の、「その花」の部分よりも「その絵」の部分の方に、「自己表現」としての性質が強く現れて来るということでしょう。


そういう「意味」をコテコテに固めたような、「意味の塊(カタマリ)」を創り出したいわけなのです。


それができれば、それを人に評価されなくても、十分満足できるような気がしていますし、それさえやりきることが出来れば、心残りはないと思っています。


だから、何度失敗しても、”ヘン”な絵が出来上がって来てしまっても、また、コテコテと「意味」を塗りこめて、「意味の塊」を創り出そうとしているわけですね。


そう思っていると「上手く描こう」なんてことは、遠くの方にあることのように感じられます。


「自己表現」であればあるほど、他人からは理解されにくいのかも知れませんが、それを塗り固めていって「塊」にすれば、きっと、『なんか言いたかったんだな』っていうことぐらいは、伝わるんじゃないかなと。


そんな風に思っているわけです。




関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR