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「意味の塊(カタマリ)」を創り出したいのです



私は、「創作」に当たって、いつも「意味を創り出すこと」を考えているわけです。
それで、その「意味」って何なんだ?ということです。


例えば、「花の絵」を描くときに、「その花」を、そのまま写し取ろうとすれば、「その花の美しさ」自体が、「その絵の意味」に成るんだと思います。


でも、そこで、「本物の花」よりも「もっと美しく」描こうとしたり、「もっと力強く」描こうとしたりする場合、「その絵の意味」は「その花の美しさ」だけではなくなってくるんだと思うわけです。

つまり、そこに「新たな意味」が創り出されたということに成るわけですね。


こう言うと、「写実」には「意味」がないという話に聞こえてしまうかもしれませんが、決してそういうことではなく、「写実」にも「意味を創り出す領域」はあると思いますが、その範囲が限定されるということでしょう。

逆に言えば、出来るだけ「モノの形」や「モノの色」に頼らなければ、その分、「意味を創り出す領域」が広くなるということではあると考えています。


そして、この「意味を創り出す領域」を広げることこそが、私の考えている「抽象芸術の目的」でもあるわけです。

つまり、出来るだけ「何もない状態」に近い所から「意味を創り出すこと」が出来れば、それが一番ウレシイということですね。


「現在の芸術」という分野は、「自己表現」のためにあるのだと思うわけです。

そして、「自己表現」のためには、「如何なる意味を創り出すのか?」ということが、大きな割合を占めるようになるんだと思っているわけです。


要するに「その花の絵」の中の、「その花」の部分よりも「その絵」の部分の方に、「自己表現」としての性質が強く現れて来るということでしょう。


そういう「意味」をコテコテに固めたような、「意味の塊(カタマリ)」を創り出したいわけなのです。


それができれば、それを人に評価されなくても、十分満足できるような気がしていますし、それさえやりきることが出来れば、心残りはないと思っています。


だから、何度失敗しても、”ヘン”な絵が出来上がって来てしまっても、また、コテコテと「意味」を塗りこめて、「意味の塊」を創り出そうとしているわけですね。


そう思っていると「上手く描こう」なんてことは、遠くの方にあることのように感じられます。


「自己表現」であればあるほど、他人からは理解されにくいのかも知れませんが、それを塗り固めていって「塊」にすれば、きっと、『なんか言いたかったんだな』っていうことぐらいは、伝わるんじゃないかなと。


そんな風に思っているわけです。




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