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日本は、まだ半分しか「開国」してない?



日本という国は、「明治維新」の時に、「鎖国」を解いて「開国」したということに成っているわけです。


でも、今の日本人を見ていると、『まだ、鎖国してるんじゃないか?』と思うことがよくあるわけです。


要するに、「封建的」な人が多いということでしょうね。
なにか、こう、「開かれた感じ」がないんですよね。

別に、「鎖国」=「封建的」でもないんでしょうけど、取り敢えず、「地位」とか「身分」とかを抜きに、人間関係を考えられない人が、随分たくさんいるように見えますね。
(これは、とくに日本に限ったことでもないんでしょうが、日本しか知らないんで、日本の話ということで)


なんで、「赤ちゃん」から「年寄り」まで、「貧乏人」から「大金持ち」まで、「中卒」から「ノーベル賞受賞者」まで、すべて、対等だということが、なかなか浸透しないんですかね。


きっと、「ノーベル賞受賞者」と変わらないくらい賢い「中卒」なんてたくさんいると思いますよ。
ただ単に、「学者」は勉強ができることに自分の価値を置いていて、「中卒」は勉強なんてできないくらいの方がイイと思っているというだけの違いだと思います。


私は、とても「差別」や「格差」が嫌いなので、こういう、「段差」が気になってしょうがないんですねぇ。


要するに、日本人は、文化や文明の「開国」はしたけれど、「人の心の開国」は、まだできていないんじゃないかと思うわけです。
つまり、日本人の心は、まだ「鎖国」状態なんじゃないか?ということですね。
(まぁ、これも日本人に限ったことでもないんでしょうけどね)


そもそも、日本は「明治維新」で「開国」したということに成っていますけど、実際は、その後、日本に外国人がたくさん入ってきたというほどでもなかったでしょうし(一般庶民の目に触れる機会は少なかったんじゃないでしょうか?)、明治~大正~戦前ぐらいまでは、まだまだ、「和服」を着ている人も多かっでしょうし、食事だって、「日本食」中心だったと思います。


つまり、「文化・文明の開国」ですら、「第二次大戦後」に成って、「占領」されたことで強制的に「開国」させられたと言うのが本当の所なんじゃないかと思うわけです。

日本にとっての「本当の黒船」は「GHQ」だったのかも知れませんね。


一見、トテツモナク大きく見える「江戸期」~「明治」への移行の時の「文化的ギャップ」よりも、「戦前」~「戦後」への移行の時の「文化的ギャップ」の方が、一般庶民の「カルチャー・ショック」としては、より大きいように思うわけですね。

上手く説明できないんですが、「明治のカルチャー・ショック」が、”楽しげ”なのに対して、「戦後のカルチャー・ショック」は、”キュウクツ”な感じがするということですね。


「文化・文明の開国」ですらそうですから、「日本人の心の開国」についてとなると、「明治維新」については、まだまだ「鎖国」に近かったのかも知れません。

おそらく、それは「武士階級だけの心の開国」だったんじゃないでしょうか?
「一般庶民」は、ほとんど「蚊帳の外」だったような気がします。


そして、この「明治~戦前」と言う「曖昧な開国」の期間と言うのが、実は、日本人にとって、とても幸せな時間だったような気がしてならないのです。

「明治期」の「文学」や「大正ロマン」と言われる「文化」など、とてもユッタリとしていて、内容的には”シリアス”なものでも、どこか「人間的」で、追い詰められた感じがないというんでしょうか?

要するに「時代の空気を楽しんでいる」ように見えるわけですね。
(「文学」などに、詳しくないので、あくまで「そんな感じがする」と言う程度ですけど)


そして、それとは逆に、「戦後の日本文化」には、どこか常に「追い詰められたような余裕の無さ」を感じてしまうわけなのです。
「伝統」を断ち切られて「迷走」するしか無く成ってしまったという感じですね。

当然それは、「人間性」が希薄になる傾向があって、いつも”ギスギス”したものを押し付けて来るという印象があるわけです。


この「人間性の欠如」こそが、今の時代を最も締め付けている要因だと思うのですが、それを、本来「時代や社会」にゆとりを与えるような役割を担うはずの「文化」が、やってしまっているというのが現状なんじゃないかと思うわけですね。


この「開国」と言うキーワードは、「鎖国」をしていた日本に特有のものですが、実は、世界的に見ても、「文化・文明の開国」と「人間の心の開国」と言う考え方に、ほぼ当てはまるような出来事は、それぞれの国にあるのではないかと思うわけです。


たとえば、ヨーロッパなどの欧米社会に置いては、自由革命と産業革命が、それぞれ「人の心」と「文化・文明」の「開国」にあたるでしょうし、また、その後の共産主義諸国にとっては、「ベルリンの壁の崩壊」が、更にそれに続くものでしょう。


ここで、世界全体を一つの国と考えた場合、なんと言っても「産業革命」が最も大きな出来事だったんじゃないかと思います。


その「産業革命」と言う「文化・文明の開国」がもたらした「機械化」・「効率化」が結果的に「人間の心」を拘束してしまっています。

つまり、「文化・文明の開国」が「人の心の開国」を妨げて、「鎖国」に逆戻りしようとしているわけです。


このような状況の中で、「本当に鎖国していた国」である日本ができることはあるんじゃないかと思うんですがどうなんでしょう?


その日本人が、いまだに「封建的」っていうのもどうなんだ?っていう感じがしてしまうわけですが、せめて、「人間の身分なんて、気にも留めていないという人が主流」ぐらいにならないものかと。


『そんなの理想論だろ』じゃなくて、『そんなの当たり前でしょ』とは成らないものなんでしょうか?


そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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