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「快楽物質」と「異常性」



「気持ちいいこと」は、とてもいいことだと思うのですが、そういう「気持ちいい時」には、人間の脳内に「快楽」を生み出すような物質、いわゆる「快楽物質」が出ていると言われているみたいですね。
(詳しいことはわかりませんけど)


たとえば、「パチンコ」にハマってしまう人は、「大当たり」したときに、脳内に「快楽物質」が出ているらしいです。
そして、その「快楽」を求めて、また、「パチンコ屋」に吸い込まれていくということに成るわけです。


おそらく、「依存性」のあるもの全般で、同じようなことが起きているということなんでしょうね。
さらに言えば、その「依存的に成った快楽」が「異常性」に結びついていくこともあるわけです。


たとえば、「快楽殺人犯」や「性的犯罪者」などは、おそらく、犯行時に「快楽物質」が出ていて、そのために、常人には「快楽」と感じられないようなことを「快楽」と感じてしまい、犯行を繰り返してしまうのでしょう。


「精神的」と言うよりも「物質的」ですから、抵抗できないんでしょうね。


まぁ、彼らのような人は、何らかの「病的な異常性」を持った人なんでしょうから(サイコパスのような)、それを、一般的な人間に当てはめて考えるのには、無理があると思いますけど、「異常性」の一歩手前の「依存性」の段階までだと、確実に一般人にもあるものだと思います。


「快楽物質」が出ることで、人が幸せになるのはいいことなんでしょうが、それが、こういった「異常性」と、隣りあわせのものだとは、やっぱり思いたくないですよね。


そこで、「快楽」と「異常な快楽」の間に、なんとか線を引きたいと思うわけですね。


おそらく、「異常」の一歩手前の「依存」が、その境界線に成るんだと思います。

純粋に、「やりたいから、やっている」ことが、いつの間にか、「やりたい・やりたくない」に関係なく「やらずにはいられなく」成った時点で「依存」に成るわけですが、その時点からは、「純粋な快楽」と言うよりは、ただ単に「快楽物質」が出ているだけと言う状態なんだと思います。

つまり、「快楽」であって「快楽」じゃない、「快楽物質」に、身も心も乗っ取られた状態に成っているということなんでしょうね。

こういう「依存」の状態が、「快楽」と「異常な快楽」の間の、一つの境界線に成るんだと思うわけです。


それから、もう一つの境界線としては、人との「共感」が考えられると思うのです。


いわゆる「サイコパス」と言われる人は、脳の機能の中の「人と共感する部分」が欠如していると言うのを聞いたことがあります。

こういうのも一種の「病的なもの」でしょうから、一般的な人とは違う話なんでしょうが、ごく普通の人の中にも、「共感」を無視した行動をとる人は結構いるようなので(そういう人は、「共感」できる能力があるのに「共感」しようとしないということですから、タチ悪いですよね)、そういう人については、「共感」が「快楽」と「異常な快楽」の境界線になってくるんじゃないかと思うわけです。

 ※ただし、「サイコパス型の脳」を持っている人でも、必ずしも「犯罪性」や 
  「非道徳的な行動」などからは、離れた立場をとり続けられる人も、それ
  なりに居るようですから、そうなると、それを「病的」と扱うことには、問題
  もあるかもしれません。
  ただ、ここでの話とはあまり関係ありませんから、そこは飛ばします。

と言っても、人間は誰でも「人と違う嗜好」を持っているわけですし、そちらの方が、むしろ本来の姿なんでしょうから、その「嗜好」が「異常性」の片鱗を持っていることは、決定的な問題でもないんじゃないかと思うのです。


それよりも、いっさい人と「共感」しようとしないことで、「本来の快楽」には、「快楽物質」が分泌されなくなって、「異常な快楽」にばかり、「快楽物質」が分泌されるようになって、その「異常な快楽」が膨らんで、その他のことを押しつぶしてしまうことによって、境界線を越えて、「異常性」の側に行ってしまうということとの方が問題なんじゃないかと思うわけです。

けっきょく、これも「快楽物質」に操られてしまっていますね。


まぁ、いずれにしても、「快楽物質」によって「快楽」が”与えられる”ということでもないんじゃないのかなと思うんですね。
そういう受動的な考え方が、”ちょっと違う”んじゃないかと思うわけですね。

「快楽物質」が出るから「快楽」を感じるんだという考え方よりも、人間が、自分の心(脳)の中に、「快楽」を生み出したときに、その結果として、「快楽物質」が出て来るんだという考え方の方が、「本当の快楽」に近いような気がしますね。

「本当の人間の快楽」ですね。


そもそも、人間は、「文化」や「文明」を発展させて行く過程で、「快楽」を発展させて来たんだと思うのです。


たとえば、人間に限らず、動物は食べることで「快楽」を感じるわけですが、そこで、人間は料理を創作するという「文化」を持ったことによって、「食べる」と言う行為の中に、「よりおいしくして食べる」と言う、「新たな快楽の領域」を創り出しているわけです。

こういったことは、他のあらゆる「文化」や「文明」についても言えることですから、いまや、「本当の人間の快楽」は、「食べる」と言うだけの「単純な快楽」のようなものではなくなっていて、もっと精神的な満足を求めるようなものに成っているんだと思うわけです。


でも、もちろん、物質的にも満足したいわけですから、その両方が求められるわけですけどね。
ただ、「文化」や「文明」が進むのと並行して、人間自身が創り出した「精神的な快楽」の比重が大きくなってきたということなんでしょう。


そういうわけで、「快楽物質」に乗っ取られて感じる「快楽」なんて、もういりません。
「そういう快楽」には、少し飽きてしまいました。
これからは、「快楽」を自分で創り出していきたいのです。

それこそが「いま、一番気もちいいこと」なんじゃないでしょうか?


そんな風に思います。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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