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「批判」と「否定」



「批判」と「否定」は重なるところが多いので、混同してしまいがちなものだと思うんですが、実際には、かなりの違いがあるんだと思います。


「批判」も「否定」も「ネガティブ」ということで、同じように扱われることが多いわけですけど、「批判」はそこから何かを得ようとするもので、「否定」はそこには得るものがないと判断することなのでしょう。


つまり、「批判」は「否定的」ではあっても、「全面的な否定」ではないということですよね。

逆に言うと、「否定」するということは、それを「全面的に否定」することということに成るわけです。
要するに、「存在」を「否定」するということに成るわけですね。


「存在しているもの」の「存在」を「否定」することは、矛盾しますから、これにはやや無理があって、本当に純粋な意味での「否定」と言うのは、有り得ないことのような気もします。


そうなると、全ての「否定形」は、本来「否定」ではなく「批判」だということに成るわけですけど、その「矛盾や無理」を強引に乗り越えて「否定」しようとする人が居たりするわけですね。

それが「ネガティブ」と言われているものの「最も良くないカタチ」なんじゃないかと思います。


ところが、実は、これは「肯定」の場合も同じことで、あまり強引に「肯定」しようとすると、やっぱり「最も良くないカタチ」に成るわけです。

言ってみれば、「否定」と「肯定」の間にあるのが「批判」だとも言えるんだと思います。

さらに言えば、「批判」だけではなく、「研究」や「考察」などは、どれも皆、本来は「否定」と「肯定」の間にあると言うことなんだと思います。

問題なのは、「否定的」か「肯定的」かではなく、その「内容」ですね。


いま、インターネットやマスコミを通じて流される情報が(ブログなんかもそうですけど)、とにかく「批判」の「存在」を「否定」しているわけです。

何でもかんでも、取り敢えず曖昧にすることが「良いこと」のように成っていて、「イイ」と言っているのか「ワルイ」と言っているのかがよくわからない「情報」がとても多いんですね。

そのわりに、「内容のない否定」や「内容のない肯定」を、ミョウにキッパリと言い切ってしまうと、そういうモノだけは比較的受け入れられやすいという、とても不自然な状況になっているように思えるわけですね。


そういう情報と言うのは、要するに、「情報」が「情報としての価値」を持っていない状態に成っているわけです。

それなのに、「ネット」や「マスコミ」を通じて一方的に大量に流されますから、「情報としてのチカラ」だけは発生してしまうわけですね。


つまり、「価値」も「内容」もないものが「チカラ」だけは持っているという状態ですね。
だから、いろいろなことが「トンデモナイ方向」へ「暴走」してしまうことが頻繁に起きて来るんでしょう。


もう少し、「批判」を重視していかないと社会が行き詰ってしまうんじゃなんでしょうか?


今は、先人の遺してくれた「スバラシイ遺産」の上に立って、それを、勝手気ままに使っていられるから成り立っているだけで、こういう状態が続いて行けば、次の世紀の人間は、『前世紀の人たちは、「スバラシイ遺産」は何も残していかなかった』と言うように成るでしょうね。

そういう世紀の住人ではありたくないものですね。

よく、『日本に嫌気がさしたから外国に行く』と言う人が居ますけど、私は、『この時代に嫌気がさしたから、チガウ時代に行きたい!』と思ってしまいますね。


私は、今までに「本当にイイ時代」なんてなかったんじゃないかと思いますけど、それは、ある意味当然のことで、時代に先駆けて「人間の期待値」が上がって行くわけですから、常に、「いま」よりも「イイ時代」が期待されてしまうわけで、そういう意味では、「イイ時代」は、これからもたぶん来ないんでしょうね。

そんな中でも、「いま」はとても「ヘンな時代」なんじゃないのかなと思いますね。


これは、太古から延々と続いてきた時代とは、全く違うものとして考える必要があるんじゃないでしょうか?

たった100年~200年ぐらいの間に、人の生活や社会の様相がこれだけ変化したことは、かつてなかったわけで、それに、人間が付いて行けていないのは当然と言えば当然のことでしょうから、「時代」に歪みが生じて「ヘンな時代」に成っているのも当たり前のことなんじゃないでしょうか?


「ヒドイ時代」じゃないだけマシだろうという人もいるかもしれませんが、けっこう「罪もないのにヒドイメにあっている人」は居ると思いますよ。

「そういう時代」を擁護する意味がわかりませんね。


このことに限りませんけど、ちっとも「良くもないこと」を、敢えて「悪くはない」と言うことは、ある種の「現実逃避」でしかないと思いますね。
これは「あえて悪い所を探し出してくる」と言うのとは、ハッキリと違う事ですね。

「良くはない」とわかっているのに、自分の力では改善できないことだとわかると「批判」するのをやめて、「悪くはない」と「肯定」してしまうのは、それが、自分の力ではどうしようもないことだということを認めたくないと言うだけなんだと思いますね。

「自分の非力さ」と言う「現実」から「逃避」しているんじゃないでしょうか?


いつの間にか、トンデモナク話がそれてしまいましたが、そんな風に思っていたりするわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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