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「自我」



人間は、ごく幼い時期に「自分」と言う存在を意識するように成るみたいですね。
いわゆる「自我」ですね。


「我が強い」とか、「我を張る」なんて言い方もあったりしますけど、そういうのなんかも、たぶん「自我」に含まれるんでしょうね。


この「自我」の使い方なんですけど、「自我」には、使い方によって「プラスの作用」と「マイナスの作用」が大きく分かれてしまう性質があるんだと思うんですよね。


さしづめ、「我が強い」や「我を張る」は「マイナスの作用」ということに成るんでしょうね。
じゃあ、「プラスの作用」の方は、どうなんだとなると、要するに、「個性」と言われているものが、それに当たるんだと思うわけです。


これは、このブログの「個性と才能」と言うカテゴリで何度か書いていることなんですけど、私は、現在の「個性」と言う言葉の使われ方に疑問を感じるところがあるので、この言葉はあまり使わないようにしているんですね。

 ※「個性」がある人とない人、あるいは、「個性的」な人とそうじゃない人、
  と言う使い方があまりに多すぎて、「個性」が、誰でもみんな同じくらい
  持っているものであるという考え方が全く通じなくなってしまっていると
  いうことですね。

でも、「個性」が「自我」の「プラスの作用」によるものだという考え方ならば、何の問題も感じないで、この言葉を使うことが出来ると思います。


つまり、「自我」は、みんなが同じように持っているものであって、おそらくは、かなり幼い時期に形成されている概念でもありますから、「個性」が「自我」による作用の一種であるとすれば、それが「ある人」と「ない人」が居るという話しが出てくる筈がないということですね。
(まぁ、それでも通じない人には通じないんでしょうけど)


実際には、「自我」がみんなに同じようにあるのと同様に(というか、「自我」を捨てる方がはるかに不可能的)、「個性」や「才能」も、みんなにほとんど同じくらいの「量」が与えられているんだと思います。

ただ、それぞれの「個性」や「才能」の「質」が違うというだけのことでしょう。
そして、その「質」には「上・下の差」はないということなんじゃないでしょうか?


さて、「自我」に話を戻すと、その「プラスの作用」と「マイナスの作用」の差が大きいんだと思うわけです。


人が「自我」の「マイナスの作用」にとらわれてしまうと、「自己肥大化」によって、自分のことしか考えられなくなって、まず、「他人」が見えなくなって、次には「自分」すらも見失ってしまうので、結局、最終的には、どんなことも判断ができなくなって、ものごとを理解するということが、ほとんど出来なくなってしまうわけです。


また、「自我」の「プラスの作用」について言えば、「表現すること」・「創作すること」・「コミュニケーションをとること」さらに言えば、「考えること」や「知ること」までも含めて、この「自我」の「プラス作用」に当たるんだと思うわけですが、これらは、人間の「精神活動」そのものと言ってもいいんじゃないでしょうか?

そんな感じですから、落差が大きいわけですね。

それなのに、この「プラスの作用」と「マイナスの作用」が容易には切り離せないわけです。
だから、どうしても「プラスの作用」を追っていくと、「マイナスの作用」もクッツイテくるんですね。
これが、とてもウットーシイわけです。

それで、「自我」を捨てて「解脱」に到達することを、宗教などでは「至上の目標」とする傾向があるんでしょう。


もし、人間に「自我」を捨てることが出来るのだとしたら、それも、一つの考え方として、「アリ」だと思いますが、「自我」を捨てるということは、「個」としての「存在」でなくなるということですから、「人間」と言う「個」に閉じ込められた形でしか存在できないモノには、それは無理なんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか?

それに、「自我」を捨てようとする気持ち自体も、また、かなり強い「自我」なんじゃないかと思いますから、「自我」を捨てることよりも、「自我」の「プラスとマイナス」をどう使っていくかということの方が、考え方としては有効なんじゃないかと思うのです。


まぁ、要するに、「プラス」ばかりを追い求めるのではなく、一応「マイナス」も受け入れて、「プラスとマイナス」の「バランス」をとることが”イイ”んじゃないかと思いますね。


取り敢えず出来ることと言えば、「マイナス」にハマリそうになった時には、その辺にあまり固執しないようにすることくらいかなと。
それで十分だと思いますし、その辺でもけっこう”ラク”に成るんじゃないのかなと。

これは、「プラスの作用」についても、ある程度同じ様なことが言えるんじゃないかと思います。
要するに、どちらもハマってしまうと見えなくなってしまうということでしょうね。


たまには「我を張っても」いいんじゃないかと思うわけですね。
それもまた、人間的なことではありますし、必ずしも悪いことでもないんじゃないかと思うんですよね。

そういう「自分の自我」を受け入れるくらいが、人間には丁度いいんじゃないのかなと。


まぁ、そんな風に思っています。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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