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「風景画」・「静物画」・「人物画」



「具象絵画」の代表的なものと言えば、「風景画」・「静物画」・「人物画」ということに成るでしょう。


私の勝手な持論ですけど、「抽象絵画」と言うのは、「風景画」でもあり、「静物画」でもあり、「人物画」でもあるというのがイイんじゃないかと思っているわけです。


つまり、これら三つの「いいところ」をあわせもっているのが「理想」ということですね。
当然、「現実的な話」ではないです。

 ※これら三つのどれでもないものが「抽象画」なんだという考えもあるかと思いますが、
  そう考えると、私には何もできなくなってしまうので、こちらの考え方でやっております。

「風景画」で惹きつけられるのは、「むこう側に抜けてゆく空間」と「横への広がり」ですね。

要するに、「風景画」が表現しているものは「広さ」なんだと思います。


「静物画」に感じるのは、「突き当りの密閉感」と「モノ性」ですね。
世界が閉ざされている分、「物質感」が濃厚になるんでしょうね。

「静物画」が表わしているのは、「密度」だと思います。


「人物画」はいろんなタイプがありますけど、実は、ほとんどの「人物画」が、作者の「自画像」と言ってもいいんだと思います。
(実際は、人物画でなくても絵はみんな「自画像」なのかも知れませんけど)

だから、「人物画」が表現しているのは、「作者自身の内面」と言っていいんじゃないでしょうか?


さて、そこで、「抽象画」ですけど、「広がり」と「密度」と「自分」を同時に表現できたらいいなと言うのが、私にとっての「抽象画」ということに成るわけです。


いやいや、「風景の中に浮かんでいる部屋の中にいる自分を描く」と言う話ではないですよ。


そうじゃなくて、「広がり」と「密度」を同時に現わせたら、”イイな”ということですね。
それで、さらに、そこに「自分」が自然に表現できていたら”もう言うことない”って言うことですね。

まぁ、出来ないですけどね。


でも、出来たら終わっちゃいますからね。
出来なくてイイんだと思っています。
少しでも近づければ十分ですね。


それにしても、「風景」を描かずに「広がり」を表現することや、「密室」や「静物」を描かずに「密度」を表現することが、なんとも、ムズカシイと感じてしまいますね。


実際には、それは「ムズカシイ」と言うよりも、「確かめられない」ということですね。

「抽象表現」には「モト」になっている「モノ」がないので、それが、良く表現できているのかどうかを確認するスベがないわけです。
だから、手ごたえを感じにくいんですね。


まぁ、それでも、これで行こうと決めたので、そこの所を変えるつもりはありませんから、あとは、どこまで、そこに力を注ぎ込めるかということに成るんでしょう。


『なにか”コレ”と言うモノ、残したいなぁ』

そんな風に思っています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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