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「性善説」・「性悪説」・「性人説」



「性善説」と「性悪説」と言うのがありますけど、どっちが本当なんでしょうね。
たぶん、どんなに議論しても結論は出ませんよね。


要するに、それだけ「人間」と言うものは、「善」と「悪」の間でいつもウロウロしているものなんだと思うわけです。


「性善説」と「性悪説」のどちらか一方を選ぶのは難しいと思いますし、それを強引に選ぶことに、それほどの意味はないように思いますけど、この「善」と「悪」の間に居るのが「人間」なんだと言う考え方には、けっこう意味があるんじゃないかと思っているわけです。

「性人間説」=「性人説」ですね。
(私が勝手に言ってるだけですけど)


つまり、「善」と「悪」のどちらか一方と言うと、どちらを選んだ場合でも必ず「矛盾」が出てきますけど、両方の間で、ウロウロしているということだと、一応「矛盾」はないわけです。


それから、こういう「中途半端さ」と言うのは、とても「人間的」なことであって、人間にとって、実は「かなり心地よいこと」なんじゃないかと思うわけですね。

ただ、残念ながら「チョットカッコワルイ」と言うだけのことなんじゃないかと思います。


その「チョットカッコワルイ」に目をつぶれば、これは、”ラク”だと思いますよ。
なんせ、”ドッチデモイイ”んですからね。

少しくらい”ワル”くてもいいし、もちろん”イイ”に越したことは無いでしょうから、どう転んでも「ノー・プロブレム」なわけで、言うことなしです。


ただし、ここで「なんでもありなのか?」と言うと、そうではなくて、「人間性」の範囲内に限って、「善」と「悪」のどちらでもいいということに成るんだと思います。

つまり、「ワルい」と言っても「ワル過ぎ」ては、「人間的」で無く成ってしまいますし、あまり、無理して「イイ人」になろうとするのも、ある意味で「人間的」じゃないっていうことですね。


「イイ:ワルイ」と言うよりも「人間の本質」が、そういうところなんじゃないか?ということですね。

つまり、「善」に成りきることも出来ないし、「悪」に徹することもできない、それに、根本的に「善」でもないし、根本的に「悪」でもないと言うのが「人間の本質」なんじゃないでしょうか?


まぁ、もっとも単純に言うと、「人間の本質」は「人間であるということ」でしかないということなんだと思います。


そして、この「チョットカッコワル」くて、中途半端な「人間性」と言うものを、「見栄」を捨てて、”受け入れること”が「人間の心」を解放して、限りなく自由にするように思うのです。


たったそれだけのことで、そんなに自由になれるわけないだろうとも思うんですけど、「そうならない理由」が思いつきません。


でも、なかなか「見栄」を捨てることは出来ないんですね。
だから、どうしても「イイ人」になろうとしたり、「ワル」ぶったりするんですね。


だから、なかなか解放されないんですね。
と言っても、ここも「中途半端」でいいわけでしょうから、そんなところで、いいんじゃないのかなと。


一応そういうことに成っております。私の中では。



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