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「人間のスペック」



パソコンの性能を表すときに、「スペック」と言う言葉を使うことが多いみたいですね。
「容量」みたいな意味なんでしょうか?

その辺はよくわかりませんけど、要するに「性能」を数字に置き換えてわかりやすくしているということでしょう。


現代社会に置いては、この「スペック」に当たるものが、「人間」に対しても当てはめられるケースが多くなっているように思うわけです。

つまり、「人間」が「性能」で判断されているということですね。

『それは、「高機能化した社会」に置いてはある程度仕方ないことなんだ』という考え方もあるかもしれませんけど、結果的に「人間」が「人間的」に暮らせるための「高機能化した社会」なわけですから、「高機能」を優先して「人間」を切り捨ててしまっては、本末転倒なわけで、「社会の機能」を少しぐらい低下させることに成るとしても、やはり、「人間」を「性能」で判断するようなことはあってはならないんじゃないかと思うわけです。


増して、「性能」や「容量」を数字に置き換えた「スペック」のようなもので、「人間」を判断しようとすることには、まったく無理があって、本当の意味での「人間の性能」を完全に否定することにつながっていると思うわけです。


本来、「人間の性能」は、到底、数字に置き換えて測れるようなものではなく、あまりに複雑であるために、「人間の性能」でありながら「人間」にはとても判断がつかないようなものであるわけですから、それを、「人間」が軽々に判断してはならないのではないでしょうか?


それは、「犯罪者を断じる」などの必要最低限の範囲にとどめておくべきであって、それ以上の範囲に広げるべきではないように思います。


それなのに、現代社会に置いては、「人間の性能」を「スペック」的な数値に置き換えて判断しようとする傾向が強まる一方ですね。


「学歴社会」に始まって「資格」や「収入」や「職歴」など、ありとあらゆる「スペック」にガンジガラメにされているように見えますね。


そもそも、こんなにもガンジガラメに縛られた状態で「高機能化した社会」と言えるんですかね。

技術の進歩などを抜きに考えた純粋な「社会の機能」だけで言うと、むしろ、数十年前、いや、百年以上前の社会の方が機能的だったような気がしてくる時がありますね。

と言うよりも、「アリ」や「ハチ」の「社会」の方がはるかに「機能的」なんじゃないかと感じるわけですね。
彼らは絶対に「足の引っ張り合い」をしませんからね。


「人間のスペック」がそういう「足の引っ張り合い」に使われることも多いんじゃないでしょうか?


パソコンを選ぶときに、当然「スペック」のデータを見ますよね。

それで、「ハイ・スペック」=「高機能」  「ロー・スペック」=「低機能」ということに成るんでしょうね。

誰だって、「低機能」なものなんて欲しくないですよね。
(まぁ、ほとんどの場合、予算との折り合いをつけて決めることに成るんでしょうけどね)

そこで、「自分に必要な機能」や「そのためのスペック」がどんなものなのか?ということが抜けてしまうことがあるんですよね。


つまり、「スペック」に足を引っ張られて、「自分に必要なこと」を見失ってしまうわけですね。


こういうことが、実際の「人間」にも起きていますね。


人間同士が足を引っ張り合うのは最も悲しいことなんじゃないでしょうか?
そういう社会であってほしくはないですね。

『そんなことなら、いっそのこと「アリ」や「ハチ」に生まれたかった』

そうは言いませんけどね。
「人間」が好きなんで。
(「人間好き」なのに、どうして「好きな人間」がこんなにも少ないのだろう?)


「人間性」っていう言葉が、ひどく古臭く聞こえる時があります。
あまりに、現実とかけ離れていて、”嘘くさく”聞こえるんですね。

そんなハズないんですけどね。


『だって、みんな「人間」なんじゃなの?』

そんな風に思っています。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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