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「殺生の境界線」



いろいろな理由で、「菜食主義」を実践している人が居らっしゃいますよね。
(私の個人的な知り合いには居ないですけど)


これは、おもに「宗教的(人道的)な菜食主義」と「健康のための菜食主義」の二つに分かれるんでしょうね。

「健康のための菜食主義」はともかく、

「宗教的(人道的)な菜食主義」に置いては、おそらく「殺生」と言う概念が関わっているんでしょうね。
(動物愛護的な立場の人も、方向性としては、これに近いんだと思います)


まぁ、「むやみに命を奪ってはならない」ということなんだと思います。


でも、「植物の命」は奪ってもいいんでしょうか?

いや、イチャモンつけようっていうわけじゃないんです。


でも、人それぞれに「殺生」には「境界線」があるんじゃないのかなと思うわけです。


つまり、「菜食主義者」にとっては、「動物と植物の間」が「殺生の境界線」なんだと思うわけですね。
(そう単純なものでもないのかも知れませんけどね)

それから、イスラム教徒なんかだと、宗派によって、食べていいものと、いけないものが違うなんて言うこともあるみたいですから、各宗派で、それぞれに、「殺生の境界線」が違うって言うことに成るんでしょうね。

と言っても、「殺生」と言う考え方自体が、「仏教的」なものみたいですから、「イスラム教徒」には当てはまらないのかも知れませんけどね。
「イスラム教」では、神聖な生き物とされているものを食べてはいけないということが、戒律になっているみたいですけど、これも一種の「殺生の境界線」ととれなくはないんじゃないでしょうか?


自分のことで言うと、基本的には「なんでも食べちゃいます」なんですけど、なんだかんだ言って、「犬」や「猫」は食べないでしょうね。
(そういう「食文化」が悪いとは思わないですけどね)

やっぱり、「ペット」として意識してしまうんでしょうね。


それから、「食べること」を抜きに考えた場合でも、「動物」だと殺せないですけど、「蚊」みたいな「小さい虫」だと、大した抵抗もなくコロシテしまいますよね。
「蚊」にしてみれば殺されてるわけですけど、こっちからすると、「殺す理由」は「カユイから」です。


こんな感じで、まったくもって理不尽で勝手気ままな「殺生の境界線」を、人は皆それぞれに持っているようなのですが、そういうのが生きるって言うことなんでしょうか?


よくわかりませんけど、そういうことなのかも知れませんね。


とにかく、「命」からエネルギーを貰わないと生きていけないというのは事実なんでしょう。

それを「殺生」と呼ぶかどうかに、それぞれ自分勝手な「境界線」を引いているんだろうと思うわけです。
さらに、これは、「動植物の命」に限ったことでもないんじゃないかと思います。


たとえば、「無生物」だけから栄養を取って生きていくとしても、それは、何らかの「エネルギー」の移動が行われていることに変わりはないわけで、先の、「動物」と「植物」の違いが、「生物」と「無生物」の違いに成っただけで、それは、最も究極的な意味では、一種の「殺生」に当たるんじゃないかと思います。

つまり、その場合、「生命から離れた所」に「殺生の境界線」があるということに成るわけですね。

生命を奪ってもいないのに「殺生」とは言わないんでしょうけど、そういう「エネルギーの移動」をも含めて「殺生」という解釈は成り立つと思います。


どこに「殺生の境界線」を置くかということよりも、その「境界線」を意識するすることの方が大事なことなのかも知れませんね。

そして、その「殺生」から得た「エネルギー」を有効に使うことを「生きる」と言うのかも知れません。


それを、「無駄」にしてしまうことは「生きることの逆」って言うことですね。
つまり、それこそが「殺生」ということなのかも知れませんね。


「何を食べるか」ということはともかくとして、「食べ物」を「無駄」にすることっていうのは、とっても「悲しいこと」なんじゃないのかなと。
(「食べ物」に限ったことでもないですけどね)


そういう風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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