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[20世紀以前の美術」と「20世紀以降の美術」



「芸術」にとって、「20世紀」と言う時代が決定的な転機であったということは、多くの人が認めることだと思うわけです。


それで、何が変わったのでしょうか?

「20世紀以前」と「20世紀以降」とでの、”決定的なチガイ”って何なんでしょうね。
こういうのって、意外と考えないんですよね。

あまりにも”チガイ”過ぎるんで、どこが”決定的なチガイ”なのかなんて、どうでもよくなってしまうのかも知れませんね。


実際、「20世紀以前の美術」と「20世紀以降の美術」は、『こんなにもチガウものを、同じ「芸術」とか「美術」として扱っていいんだろうか?』と思うほど、全く違う性質があるようにも見えるわけです。

だったら、その”決定的なチガイ”も簡単にわかるんだろうと思うわけですけど、それが、そうでもないんですね。


あまりに根本から違っているために、どこでどう違って、こんなにぜんぜん違うものになってしまったのかが、かえって解りにくく、そして説明し辛くなっているんでしょうね。

それで、どうしても「多様性」や「抽象性」といった、やや漠然とした言葉を使って説明してしまうために、いっそう、わからなくなって、けっきょく最後は、『そんなこと説明してもしょうがないだろ!』とか、『そういうことを考える暇があったら、自分の作品を作れ!』ということに成りがちなわけです。


でも、私の場合、その辺が漠然としていると、どうもスッキリしないタチなので、そこのところを考えてみるわけです。



まず、「芸術の20世紀以前」には、「芸術」にも、「枠」があったと思うのです。
つまり、「規定」ですね。


「絵画とはこういうモノ」、「彫刻とはこういうモノ」、「ここまでは芸術と言えるけど、ここからは芸術ではない」、と言う、一種の「暗黙の了解」が成立していたということでしょう。
(それ自体にもアヤフヤなところがあったのかも知れませんが)

これは「芸術」に限らず「社会全般」にも言えることだと思いますけど、19世紀から20世紀にかけて、様々なことで、それまで、「暗黙の裡に了解されていたこと」や、「無条件に信じられていたこと」が、覆されるという事態が起きてきて、ナントナク成り立っていた「枠」が成り立たなくなってきたんでしょうね。

それでもって、「メンドクサイから、枠なんて全部トッパラッチマオウ!」となったみたいです。


これが、いわゆる「多様性」に当たる部分だと思うわけです。
つまり、「なんでも芸術と言っていいですよ」ということに成ったわけですね。
それだけ「自由」に成ったのは確かでしょう。


実際、「芸術の20世紀」を通して、それまで「芸術」ではないと思われていたモノのなかに「芸術」を見つけ出すことや、「芸術性」を与えることといった「行為」を「芸術」と言う傾向はあったように思います。


ここで、前述の「あまりにもチガウ」に成ったんでしょうね。


また、ここで、少なくとも「美術」に関する限り、それまでは「作品」をもって「芸術」としてきたのに対して、「行為」自体を「芸術」とする考えが現れてきたことで、「芸術」が、より「精神的なもの」として考えられるように成って行ったわけでしょう。

つまり、「物質」の枠を抜け出して「精神性」を高めようとする傾向があったのだと思います。
おそらく、この「精神性」が「表現形態」としての「抽象」に至ったのでしょう。

この「抽象」と言う概念が「考える芸術」に発展して行くことに成ったということだと思います。


確かに、この「多様性」と「抽象性」の二つは、「20世紀以前の美術」と「20世紀以降の美術」を分ける重要な要素なんだと思います。


しかし、それ以上に”決定的なチガイ”は、「創造の芸術」と「破壊の芸術」の違いです。


「20世紀以前の美術」に置いては、誰もが「創り出すこと」しか頭になかったと思います。
それが、やや凝り固まって、行き詰って行ったわけでしょう。
要するに、「アカデミズム」が、あまりに権威的になってしまったわけですね。


それで、一度「壊すこと」が必要になったんでしょうね。
ところが、今度は「壊すこと」しか頭になくなってしまったみたいですね。


どちらにおいても、結果的には、「創造~破壊~再生」という、自然界が持っている「サイクル」が失われてしまったわけです。


「20世紀以前の美術」=「創造の芸術」
これを言い換えれば、「創造に行き詰った芸術」とも言えるでしょうし、

「20世紀以降の美術」=「破壊の芸術」
これを言い換えれば、「破壊に行き詰った芸術」と言うこともできるでしょう。


つまり、「20世紀以前の美術」と「20世紀以降の美術」の”決定的なチガイ”は、「破壊」と「創造」と言うチガイですが、その二つの共通点は、「それらを極めようとしたこと」で、どちらも、反対側の視点を失ってしまったために、最終的には行き詰ってしまったということでしょう。


そこで、この「行き詰まり」を脱して、次の世紀に生き残っていくには、「破壊」と「再生」を”ワン・セット”のものとして、一連の流れの中で考えていく必要があるんじゃないかなと。


こういった「思考」と「作業」の繰り返しが、今後の「芸術」に成るんだと思うわけですが、そこのところを、ハッキリさせずに漠然とやっていると、またしても、同じ轍を踏むことに成るような気がするので、そのへんを、ハッキリと意識していこうかなと。


そんな風に思うわけなのです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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