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「セルフ・ターミナルケア」



「死」を目前にして、医師から「余命」(三ヶ月くらい?)を宣告されたような人に対して、「残された日々」を、より良い形で過ごせるように施される医療や介護を「ターミナルケア」と呼んでいるそうです。


これを、非常に悲壮なものとして考えてしまうということもあるんですが、実は、そう悲惨なことではないような気もするわけです。


どっちにしろ、人間いつかは死ぬわけですし、言ってしまえば、生まれた瞬間から死ぬことが宣告された身の上なわけで、それを「あと〇ヶ月」と言われたことなんてのは、どうってことでもないんじゃないかなと、不謹慎にも思うわけですね。
(あくまで、不謹慎にもですけどね)


そう考えると、「ターミナルケア」を受けている時間と言うのは、その人にとって、とても有意義な時間なんじゃないのかなとも思えてくるわけです。


もちろん、病気や衰弱による痛みや苦痛と言うのはあるでしょうが、そのこととはまた別に、この「死を前にした時間」と言うのは、正に、人間が生まれた瞬間から、突き付けられている「生と死」という命題と、直に接する時でもあるように思えて来るんですね。


本来は、生まれたときに既に与えられている「問い」を、普段は、いつも見ないようにして、先送りにしているわけですが、それが、すぐ近くにあることで、「考えざるを得なくなる」ということですね。

それは、考えようによっては「自分自身によるターミナルケア」とも言えるんじゃないかと思うわけです。


そのことが、決して悲壮なこととは思えないんですよね。
まぁ、その立場に居ないから言えるのかも知れませんけどね。


これも、不謹慎ではありますけど、どちらかと言うと、楽しいことのような気がしてしまうわけなんですよね。


これは、死んだら楽になるんじゃないか?(たとえば天国に行って)と言うのとは違って、楽しいような気がするのは、どちらかと言うと「死ぬ前の時」であって、「死んだ後」ではないんですね。


そういう「自分が死ぬ時がだいたいわかっている期間」がいいんじゃないかと思うんですね。

なんと言うか、とても密度が濃い時間に成るんじゃないかと言う感じがするんですよね。
そういう濃密な時間と言うのは、人生の中で限られているように思うわけですね。


だからと言って、早くそういう状態に成りたいとは思わないですけどね。
と言うよりは、どちらかと言うと、遅い方がよくて、普段の時間を、「ターミナル期」の延長上と捉えていけば(余命何十年とか)、今からでも、「時間の密度」は濃く成るんじゃないかとも思ったりするんですよね。

つまり、長い方が”一層イイ”ということに成るわけですね。


そして、そう考えると、今日の自分の一日が、『実にウスい!」という感じがしてきて、やや、物足りない感もなくはないないですが、その「薄さ」に気づくというのもイイことなんじゃないのかなと。


そういう風に思っていたりもするわけです。





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