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「考える芸術」



「芸術」が考えるものに成ったのは、いつの時代からなんでしょうね?


少なくとも、ルネッサンスの時代の工房制作に置いては、「芸術」は「職人仕事」に近いものだったんだと思うわけです。
(職人が考えないということではないですけどね)

それが、徐々に専門性を高めていって、技術的な研究を通して、「考える」と言う要素が多く成って行ったんでしょうね。

そして、その後、「芸術」の中で、「作家個人の表現」と言う意味合いが強く成って行ったことで、「芸術」は「考える芸術」に成ったんじゃないかと思います。


現在においても、「技術」を重視した「芸術」は存在しますが、「思考」を重視した「芸術」が、次の時代につながって行く可能性は高いでしょう。
(と言うよりも、「芸術」の中で二分化していくのかも知れませんね)


もともと、「考える分野」としては、「ギリシャ時代」或はそれ以前から「哲学」がありました。


また、東洋に置いても、「芸術」とは別に「考える分野」はあったでしょうし、「工芸」や、現在で言うところの「芸術」に当たる分野が、「思考」よりも「技術」に重きを置いていたと言う点も、西洋とそれほど差はなかったんじゃないでしょうか?

そして、必ずしも「考える分野」ではなかった「芸術」が、「作家個人の表現」としての性質を持つように成ったことで、「考える芸術」に成ってきたということに置いても、「東洋」と「西洋」が、同じような道筋をたどってきたと言ってもいいんじゃないでしょうか?


そう考えると、「個人の表現」であるということが、「芸術」を「考える芸術」にしたということに成るわけですね。

また、そのことが、「哲学」における「考える」と、「芸術」における「考える」の”違い”になっているんだと思うわけです。

 ※「哲学」に置いても「自分」を表現することはあるでしょうし、「芸術」に置いても、
  「哲学的な思考」は必要なんでしょうが、どちらに重きを置くのか?ということで
  しょうね。

となると、「自分」のことを「考える」ということが最も重要になってくるんだと思うわけです。
「自分」の中の、「一番自分な部分」とは何なのか?ということが、表現するべきことのように思えるわけですね。


そういう、「自分」の中の最も根源的に刻み込まれたモノを表現できたらイイんじゃないのかなと。
つまり、「後から身に着けたようなモノ」じゃなくてですね。
言い換えると「考えてわかったこと」じゃなくて「考える前からわかっていたこと」とでもいうんでしょうか?

これは、先天的な能力と言う意味ではなくて、どちらかと言うと、「自分の中心」と言うような意味ですね。

そういう「考える前からわかっていたこと」=「自分の中心」について『考えましょう』

と思っているわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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