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「財産」



「財産」と言うものは、「持てる者」と「持てない者」の間に「格差」を生み出してしまうモノだと思うわけです。
そして、その「財産」こそが「資本主義」の根幹を成している「資本」と言っていいんだと思うわけです。
ということは、「資本主義社会」は「格差必定の社会」だということですね。


「資本主義」は「自由主義」や「民主主義」と結び付けて考えられることが多いですから、「平等」とも「セット」なような気がしてしまうわけですが、実は、もっと昔の「封建的な社会」に比べれば、「少し自由」だったり、「少し平等」に成ったというだけで、まだまだ、全然「自由」でも「平等」でもないというのが実態でしょうね。


たとえば、「遺産相続」と言うのがありますけど、あれは、どう考えても「平等」とは言えないわけで、少なくとも、「財産」が多い家に生まれた人と「財産」が少ない家に生まれた人は、金銭的には不平等だということでしょう。


「金銭」なんてどうでもいいことなのかも知れませんが、「社会」や「法」が規定できる「平等」とは、そういう「どうでもいいこと」の「格差」を埋めていくことぐらいなんじゃないかと思います。


さらに言えば、それをすることが重要だというよりは、それをしないで放っておくことが、人間の心を腐敗させてしまうということでしょう。


昔、アメリカで、ある黒人の女性がバスの座席に座っていたときに、白人から席を譲るように要求されて、それでも動かなかったことが、人種差別撤廃運動が起きる原因の一つに成ったのは有名な話ですが(アラバマバス事件)、その時、「バスの席に座ること」が重要だったわけではなく、「席に誰でも平等に座れるようにすること」が「社会が提供できる平等」だったということでしょう。


そういう意味で言えば、「遺産相続」なんて、必要ない制度なんじゃないかとすら思いますけど、なんでそれが無く成らないかと言えば、要するに、「お金持ち」が”ソン”するからですね。

そして、その「お金もち」がほとんどの法律を作っているわけですから、無く成るわけないですよね。


「財産」が、本人が死んだときに「すべて没収」だったら、きっと「国家財政」が随分潤うでしょうね。


これは、「社会主義」とか「共産主義」的な考えではなくて、ただ単に「遺産相続」だけについての話ですね。


それにしても、この「財産」ということについては、「平等」と言う建前が、あまりにも完全に無視されていると思うわけです。

まぁ、「資本主義」なわけですから、当然と言えば当然ですけどね。


でも、実際には、「資本主義」であるからこそ、そこを、一番重点的に「平等」にする必要があるハズなんじゃないんでしょうか?


だって、すべてのことが「資本」を基準にしてまわっているのが「資本主義」なわけですから、そこが「平等」でなければ、いくら他の所を「平等」にしても、あまり意味がないということでしょう。

少なくとも、経済面に限っては、「財産」に関することを「平等」にしなければ、「平等」はあり得ないということでしょうね。


実際上、できないことが多いのは当然ですが、出来ることでもやっていないことがたくさんあるのも事実だと思いますね。


いえ、決して自分に「お金」がないから言ってるんじゃないんですよ。

実は、「財産」に拘束されているのは「お金持ち」も同じなんじゃないかと思うわけです。
つまり、この「財産の格差」に、「持てる者」も「持てない者」も両方とも縛り付けられているんじゃないかと思うときがあるんですねぇ。


「本当は、そこにはない幸福」を追う羽目になっているっていうような感じがするんですね。


「お金」と「幸福」が必ずしも一致しないものだということは、みんな、なんとなく感じていても、実際に「お金」を持たされたり、持たされなかったりするから、そこに「価値」や「幸福」の「幻想」を作り出してしまうということなんじゃないでしょうか?


さっきの「アラバマバス事件」の話で言えば、バスの席に座って動かなかった女性は「席に座りたかった」というよりは、「人間としての尊厳」を望んだのでしょうが、「座れる人」と「座れない人」がいると、「席に座ること」と「自分の尊厳」が同じものにしか見えなくなってきてしまうわけです。
それで、「自分の尊厳」を取り戻すために、席を譲らなかったんだと思います。
席を譲ってしまえば、「尊厳」も取り上げられてしまうと思ったということでしょうね。
その立場に立てば、誰だってそう思うと思いますよ。
ただ、それを実行できる人が少ないというだけです。


実際には、「バスの席」が「平等」になっても、人の心から「差別意識」が無くならないのであれば、あまり意味がないわけですが、はじめから、そこに「不平等な席」が厳としてしてあると、双方が、「平等」の位置を見失ってしまい易いということなんじゃないでしょうか?


そういうことで、「資本主義」だからこそ、「財産」は死ぬ時には「没収」。

その「お金」を有効に使えば、きっとナニカいいことがありますよ。

そうすれば、「お亡くなりに成ったお金持ちの方々」も、さぞ満足なんじゃないのかなと。


『そんなことは無いと思います!』

『おしまい・・・・』


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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