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「収入ゼロの仕事」



前に、このブログの中で【「職業」じゃない「シゴト」】と言う記事を書いたことがあるんですけど、要するに、「収入」がなくても「仕事」と言う概念は成り立つんじゃないかと思っているわけですね。

     ※2015年5月3日の記事で書いています。


たとえば、「主婦業」が「仕事」として社会的に認められるように成って久しいわけですが、「収入」と「仕事」は必ずしも関係がないモノなんじゃないかと思うのです。

それどころか、「仕事」は「利益」とも関係なく、成立する概念なんじゃないかとすら思うわけです。

じゃあ、何と関係があるのかと言えば、「価値」だと思うんですね。
「価値」と「利益」は一致しないと思うわけです。
まぁ、「価値」や「利益」の解釈にもよりますけどね。


たとえば、両親にとって「子供の存在」には「価値」があると言えるでしょうが、それは「利益」とは必ずしも関係がないわけです。

「利益」を当て込んだ上で、「子供の存在」に「価値」を感じている、ということではないんじゃないかと思うわけですね。
(そういう親もいるでしょうが、そういう人は何かを見失っているんでしょうね)


つまり、「利益」がない所にも「価値」は発生する可能性があるということでしょう。


もちろん、「価値を得る」ということ自体が「利益」であるということはあるでしょうが、「利益」と言う言葉には、もう少し「直接的なトク」と言う意味があると思うわけです。

やはり、「両親」が「子供の存在」に感じている「価値」は、「ソン・トク抜き」と言うのが、言葉の上でピッタリくるような気がします。


そういった意味で、「仕事」に関しては、「利益」に当たるものの代表が「収入」に成るわけですよね。


当然、「収入」にも「価値」はありますが、「利益」を伴わない「価値」もあるハズだなと。
そういう、「ソン・トク抜きの価値」に当たるものは何なんだろうか?と考えるわけですね。


「収入」や「社会的地位」と言った「直接的な利益」を除いた場合の、「仕事」における「価値」とは、おそらく、「ナニカをやりきること」なんじゃないかと思うわけです。


「人生の中で何かをやりきること」を、「収入」とは無関係に「仕事」と言っても、なんらサシツカエないんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか?


別に、大事業を成し遂げるということではなくて、なにか、たった一つのことでもいいから「やりきって」から死にたいモンだと思うわけなんですけど、これって、「思い上がり」なんでしょうか?


その為に、自分にも周りの人間にも、少なからず負担がかかってしまうこともあるでしょうが、それって、「自分勝手なこと」なんでしょうか?

もちろん、「収入」を得ることで、家計を支えて、その結果「ナニカを成し遂げる」ということだってあるでしょう。


でも、それと同じように、「収入」を切り捨てることで、「ナニカをやりきる」ということもあっていいんじゃないかと思っているわけです。


「収入」から得られるものでは、「自分にとっての”ナニカ”」を「やりきること」ができない場合は、「収入」をあきらめてでも、それを「やりきること」には、十分に「価値」があると思うのです。


その「価値」を共有してくれる人が居れば、幸運なことだと思いますが、それは、そんなに「自分勝手なこと」ではないんじゃないかと思うわけです。


もしも、そうだとすれば、それを「仕事」と呼んでもいいんじゃないのかなと。

そんな風に思っているわけです。




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