FC2ブログ

「イイ偶然」を固める



私は、絵を描くうえで、いつも『偶然をあてにしよう!』と思っているわけです。


それは、必ずしも、「テキトーにやって成るように成った状態」と言うのではなく、作品を、「自分の作為」から外れたところに持っていく、という作業なんだと思っています。


そして、いつも次から次へと現れては消えていく「偶然」のなかで、「イイ偶然」を見つけ出して、それを固定していこうという気持ちでやっています。


これは、20世紀の中ごろに行われていた「その手の手法」とは、少し違います。
まぁ、同じようなところもありますけどね。
少し違うというところです。

そちらは、「偶然」と言うよりは「技巧」の一種だったように思いますね。

要するに、絵具をにじませたり、流したりするのと同じように、「偶然性」を利用してはいますが、あくまで「技法」としての「偶然の利用」であって、「技術」のバリエーションであったように思いますね。


私の場合は、むしろ、「手法上の問題」ではなく、、制作の過程に「”意図せずに””現れてきた偶然」を、見つけ出して生かしていこうというものです。
(「意図的な偶然」は「技術」だと思いますが、「単なる偶然」は「非技術」だと思います)

その中でも、とくに「イイ偶然」を固定していこうということですね。


「偶然」と言うと”ユルイ印象”がありますけど、この「イイ偶然」を見つけ出すという作業は、意外と集中力を必要とするんじゃないかと思っています。


なんたって「偶然」ですから、いつ、どんな風に現れるかわかりませんし、ちょっと油断して見逃してしまうと「スッ」ッと消えていってしまうわけで、それを常に、集中して見つけ出さないとならないということですから、意外なほど緊張するわけですね。


「偶然」は、人間が意図的に作り出すものと違って、非常に壊れやすいですが、そこには「作為」が入らない、もっとも純粋な「自分」が現れているような気がしているわけです。


『でも、偶然なんだから、自分が創り出したモノじゃないんじゃないの?』という部分もあるんですが、そこで、「イイ偶然」を見つけ出すという作業が重要になってくるということです。

つまり、現れて来る「偶然」は「自分の創り出したもの」ではないのでしょうが(実は、そこにも「自分のクセ」は、意外なほどよく現れてくるものだと思いますけど)、それをよく見極めて、「イイ偶然」を見つけだして、それを固定していくという作業を繰り返していくことによって、「偶然」であって「偶然」でないモノが生み出されてくると思っています。


そこで、初めて、「作為」を排除した「最も自分らしいモノ」が現れて来るんじゃないかなと。

そういう風に思っているわけです。




関連記事

Comment 0

There are no comments yet.