「芸術における不満」
「不満」と言うと、いいイメージがないかも知れませんけど、じつは「不満」は、何かを追究するうえで、絶対に必要なモノと言っても過言ではないと思うのです。
※ここで言う「不満」は、「自分に対する不満」ということですね。
社会や人など「自分以外に対する不満」は、これとは違うと思います。
「芸術」などにおいて、何かを追究することを考えた場合、「満足」と「不満」だったら、絶対的に「不満」の方が有効なんじゃないでしょうか?
人間と言うのは、やっぱり怠惰なもので、「満足」してしまうと、それ以上やらなくなってしまうと思うわけです。
「不満」があるからこそ、自分を叱咤激励できるんだと思います。
もちろん、そんなことしなくたって、自分に厳しくできる人もいるんでしょうが、私にはちょっと無理みたいなので、やっぱり「不満」が必要に成るわけです。
と言っても、必要だから、わざわざ「不満」を創り出そうというわけではないですけどね。
そんなことしなくたって、自分のすることにはいつも「不満」がありますから、「不満」には事欠きませんね。
何をしていたって、「不満」はありますね。
ただ、出来れば、その「不満」を生かしていきたいもんですけどね。
最近の風潮として、「不満」を持つことを「負の要素」として捉える傾向があるような気がするんですけど、実際は、「満足」してしまえば、そこでオシマイなんじゃないかと思いますね。
要するに、「不満」をどうつなげていくかということが問題なんだと思います。
「満足」は、その時はいいかもしれませんが、先につながるものがないという気がしますね。
現状に満足するというのが、「イイコト」なんだとしたら、みんなやってると思うんですね。
やっぱり、それじゃ何も生み出されないということで、「不満」を持つようになるんじゃないかと思います。
「満足すること」っていうのは、要するに「止まること」なんだと思うわけです。
だから、動きたい人は、「満足」しないでいた方がイイように思いますね。
もちろん、「止まること」が悪いということは無いと思いますけど、良いということもないと思います。
少なくとも、何かをするということを前提に考えた場合、「満足」して止まってしまうと、何もしなくなるのかなと。
そんなわけで、「不満」があってもいいじゃないかと。
『今日描いた絵なんて、もう最悪!』
『でも、その不満が、最高!!』
『そう、そう!そういう感じ。いいよ、いいよぉー!!』
自画自賛じゃなくて、自画不満。
・・・・っていう。
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