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「芸術売買」と「芸術福祉」



私は、基本的に「芸術作品」というものは、「売ったり・買ったり」しない方がいいんじゃないかと思っているわけです。
(現実には無理でしょうが、あくまで、「本来は」ということです)


本来、「芸術の価値」と「金銭の価値」は、交換しない方がイイような気がするわけですね。


「芸術作品」というものは、「人の命」などと同じように、「金銭」に置き換えてはいけないモノなんじゃないかと思うのです。
それを「金銭」に置き換えることを続けていくと、「芸術」も「人の心」も荒廃していってしまうような気がします。

とは言え、それじゃあ、「芸術家」は生計を立てられないわでですから、それもどうかとは思いますけど、取り敢えず、「人身売買」と同じで、本当なら、「芸術売買」もやめたほうがいいんじゃないかと思っているわけです。

 ※絶対にダメって言うことは無いと思いますけど、の状態は明らかに行き
  過ぎていると思いますね。
  そう思う人ってあんまりいないんでしょうか?


昔は、「人身売買」だって、貧しい人たちにとっては、生計を立てる手段の一つのように成ってしまっていたわけで、それを誰かが『やめよう!』と言いださなければ、いまだに続いていたかもしれないわけです。
(と言うより、まだ完全に無く成ってないと言う話も聞きますすし)

だから、「芸術家」が困るからと言うことは、「芸術売買」を続ける理由にはならないと思います。

 ※自分のことで言えば、私が「作品」を売ろうとするときは、自分を「身売り」
  する覚悟で売るということです。
  まぁ、売れないから大丈夫ですけどね。


なぜ、「芸術売買」がいけないか?と言えば、それは、「純粋性」が保てなくなるからですね。


「芸術」にとって最も大事なものが「純粋性」だと思っていますから、それが、保てなくなるということは致命的なことだと思うわけですね。

 追記:言葉が足りなかったので補足いたします。

  現状では、「芸術」の社会的な保護が十分ではないので、「創作者」は「作品」
  を売る以外に生きていくすべがないわけで、そこを避けて通ることが難しく成
  っているわけです。
  しかし、こういうことを常に意識して「作品」の売買に臨む姿勢があるだけでも、
  最低限の「芸術の純粋性」は保たれるんじゃないかと思います。


昔は、専ら貴族や大きな寺院や教会などの、あまり細かい金勘定をする必要がない立場にいた人が「芸術の買い手」でしたから、そこに「経済競争」が入り込む余地が少なかったわけです。

つまり、貴族たちは、まったく好き勝手に、また、次に誰かに売ることなんて考えもしないで、「芸術」を所有して、勝手に満足していたんでしょうから、そこに「売買」と言う言葉が、必ずしも当てはまらなかったように思います。

「買う」だけで「売る」と言う意識は、ほとんどなかったんじゃないでしょうか?

つまり、個々の作品を買い上げていたというよりは、どちらかと言うと、「お気に入りの芸術家」を、王侯貴族が養っていたというのに近かったんだと思います。

ある意味で、「経済の枠組み」から外れていたんじゃないでしょうか?


そういうのは、かなり昔の話ですし、有名な芸術家に限ったことなのかも知れませんが、そうした流れがあったことは確かなことでしょうし、そういうことが芸術全体にも影響していたということはあるでしょう。


それが、時代とともに、徐々に「芸術の商品化」が進んできて、いまでは、完全に「芸術」が「経済」に取り込まれてしまっています。
現状では、「芸術」は「経済」を象徴する商品の一つと言ってもいいかもしれません。

「バブル経済」の中心に「芸術作品」が集まって行く傾向があるのは確かなことでしょう。

そんな中で、「芸術売買」を続ければ、「人身売買」の場合と同じく、「人の心」は荒廃していくでしょうし、「芸術」自体も廃れていってしまうでしょう。

見方によっては、現在の「芸術」の置かれている環境は、けっこう、「純粋性」が保たれにくい状態なのかも知れないということですね。


でも、「作品」を売ってはいけないんだとすると、「芸術家」はどうやって生活すればいいのか?ということですよね。


「芸術家」は、何らかの形で「社会福祉」の下に置かれるのが、今のところ一番”マシ”なことなんじゃないかと思います。
「障碍者福祉」や「生活保護」などと同じような、「芸術福祉」・「芸術者保護」ですね。


そうすることで、「芸術家」は「経済の枠組み」から外れることが出来ますし、「個人的な成功」を追いかける必要が無く成ります。
と言うより、「芸術」に置いては、「金銭面での成功」ということ自体が有り得無く成るということですね。
(それでも、最低限の「名声」や「評価」は残るでしょうが、それは絶対に悪いモノでもないと思います)

だから、「純粋に創りたいもの」を求めていけばいいわけです。


こういうことを言うと、『ナニを贅沢なことを言っているんだ!芸術家ばかりにそんな特別待遇が許されるわけないだろ!!』と言って怒る方もいらっしゃるでしょうが、それは、「芸術」が目に見えない形で社会に貢献しているということが認識されていないからだと思いますね。


実際には、「芸術」が「社会」に与えている影響は、間違いなく大きいですし、「芸術」が純粋性を失って行けば、確実に「社会」も荒廃していくことに成ると思うのです。


現代社会に置いては、「芸術」の「社会貢献性」を認めている人も認めていない人も、その影響からは逃れられないというのが現実だと思いますね。

 ※ここでは、主に「芸術のプラス要素」を言っていますが、実際に大きいのは、むし
  ろ「芸術のマイナス要素」の方で(近年に成って、マイナス要素の方が大きく成っ
  てきたということだと思います)、「芸術の純粋性」が失われていくことで、結果的
  に「社会」が荒廃していくということです。

要するに、「芸術」には「個人的」であると同時に、結果としての「社会貢献的」な面があるということですね。
(芸術家が、それを追究するというよりは、結果的にそうなるということだと思います)

だから、そこに、もう少し「税金」を使ってもいいんじゃないかと思うわけです。
いまは、「芸術」に税金を使うことが、「芸術の純粋性」につながっていないんじゃないかと思いますね。

だから、もう少し、そちらの方向に向けて行ってもいいんじゃないかと思うわけですね。


さて、そこで、「芸術売買」をやめたとして、どうするのか?
それは「レンタル」を中心にしていくことが望ましいように思います。


現在も、「有名作品」に関しては、「売買」よりも「レンタル」される機会の方がはるかに多いんでしょうが、それを、もう少し進めて、「芸術作品」に関しては、「有名作品か無名作品か」を問わず、「所有権」自体をなくしてしまうというところまで持って行ってもいいんじゃないかと思うわけです。

「誰かの所有物」ではなくて、「管理者」が「管理権」と「管理責任」だけを持っていて、「レンタル」や「保存」などの管理をするということでいいような気がします。

そして、そこから生まれた利益を「芸術家への福祉」に充てるということですね。


「作品」を「所有」したり、「売買」したりしたい人は、「芸術家」としての「福祉」を受けなければいいだけのことですね。


さて、そこで、「誰を芸術家として、福祉の対象にするのか?」と言う問題が出て来るわけですが、これは、意外と簡単なことで、ただ単に、「生活保護」の審査基準と同じくらいの基準を設けて、尚且つ、「生活保護」の支給額よりも少しだけ低い金額を支給すればいいんだと思いますね。

つまり、「芸術者」であろうとすることは、社会の底辺に身を置くことでもあるということです。
あえて「ソン」をしてまで、「芸術家」に成ろうという人は、かなり真面目に「芸術」に取り組むでしょうし、それ以上の「報酬」や「成功」を望む人に、「純粋な芸術」が生み出せるとは思えませんから、それで十分だと思いますね。


さらにダメ押しで言えば、「芸術福祉」を選択した人は、その後「生活保護」に転じた場合、支給額が減額されるし、一度「芸術福祉」を受けた人が、その後、それを断って「芸術売買」側にまわった場合、もう二度と「芸術福祉」を受けられないということにすれば、かなりイイように思いますね。


もしかしたら、受ける人がほとんど居なく成るかも知れませんね。

さて、これって、「贅沢な特別待遇」なんでしょうかね?


それでも、「芸術福祉」を受ける人はそれなりに出て来るでしょうが、「生活保護」を受ける人やその支給額が減れば、その分だけは「経費節減」に成るということです。

それでも、まぁ、けっこうお金はかかるでしょうね。


こんな事が実現できるかどうかは別として、もしも、こういう状況に成ったと仮定して、どっちの「作品」を見たいと思う人が多いんでしょうね?

つまり、「芸術福祉を受けている人のウリモノに成らないかも知れない作品」と、「福祉を受ける必要がないカネに成る作品」、どっちを見たいですか?って言うことですね。


前者は「どうしようもなく幼稚な作品」かも知れませんが「純粋な作品」である確率は高いですね。
後者は「人の目を楽しませる作品」でしょうが、「純粋な作品」である確率は低く成るわけです。


それから、芸術家はどっちの立場を選ぶんでしょうね?
つまり、どっちの立場を選ぶ人が、「本物の芸術家」なんでしょうね?


「貧乏でも、人や金のことに煩わされずに制作したい」と思う人と、「やっぱり金も欲しい」と思う人の、どっちが、≪芸術の中心≫に近い位置に立っているんでしょうね?


人ソレゾレでしょうし、スキズキって言うことなんでしょうね。


でも、少なくとも、こういう事を考えていくと、現在の「芸術がある位置」と言うのは、ずいぶんと”ズレ”ているんじゃないのかなと。


そういう風に思えてくるわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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