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「創作や表現の本質」は「具象」にあり、「芸術の本質」は「抽象」にある



このブログを通じて、「抽象表現」についていろいろと書いてきたんですが、それらの記事を書くうちに、気が付いたことがいくつかあります。


たとえば、前に『「絵画の本質」は「具象性」にある』と書いたことがあったんですが、それについて、その後、気が付いたことがあるので、改めて書いてみたいと思います。

 ※そちらの記事は、この記事と重複する部分も多く、ここで新たに書いている
  内容が抜けているため、誤解を招くような気がしますので削除いたしました。


前の記事で言っていたことを、簡単に言うと『「具象性」がないと何も表せない』ということです。
つまり、「抽象性」を極めようとしていくと、最終的には必ず「無」に近づいていって、何も表せなくなってしまうということですね。

 ※これは「芸術の20世紀」が証明したことの一つだと思います。
  ただ、それを証明したハズの人たちが、『具象性を排除すれば、すべて無
  に帰してしまう』という「成果のない結論」に到達してしまったことを、自ら受
  け入れることなく”うやむや”にしてしまったことは、「悲しい結果」であると
  言わざるを得ませんけどね。


だから、「絵画」に限らず、あらゆる表現に置いて、「具象性」を全く使わないで、ナニカを現すことは出来ないんだと思うわけですね。

つまり、全ての、「作品」や「表現」については、本質的に「具象的」であるというべきなんだと思います。


ところが、もう一方で、実際の「作品」や「表現」ではなく、「芸術と言う概念」についてとなると、それとは、反対に、その本質は「抽象性」にあるんじゃなかと思ったわけです。

つまり、これが新たに気づいたことというわけです。


まぁ、要するに「芸術」を「表したり、伝えたり」することを、まったく考えないで、完全に、「頭の中での作業」と考えた場合は、本質的に「抽象的」であるということですね。

そして、今回さらに気が付いたことは、これらのことが非常に混同されやすいということなんですね。
少なくとも、私自身は、何となく漠然と捉えていて、その辺のところをハッキリとした言葉で理解していなかったと思います。
それで、一度はっきりした言葉に置き換えておこうと思ったわけですね。


実を言うと、「抽象芸術」と「具象芸術」があるのではなくて、「芸術」はすべて「抽象的」であり、「それを現す手段」(「作品」など)の方は、全て「具象的」であるということなんじゃないかと思うわけです。

そして、「芸術」と「それを現す手段」(「作品」など)が、常に、「一体のモノ」として捉えられているために、このことが混同されてしまうのだと思います。


誰しも、「芸術」と言えば、「芸術作品」を思い浮かべますし、「絵画」などの「作品」を見れば、それを『芸術なんだろう』と思ってしまうわけです。

しかし、実は、「芸術」は「絵画」などの「モノ」とは違って、「物質」ではないというのが本質的なことだと思うわけです。
ただ単に、便宜上「物質」を使って現しているというだけで、「芸術」自体は「非物質的なもの」と言っていいんじゃないでしょうか?


でも、そうなってくると、「抽象芸術」と「具象芸術」とか、「抽象表現」と「具象表現」とか、「抽象画」と「具象画」とかといったことが、全部、『ちょっと待ってくださいよ』ということになってくるわけなんですよねぇ。


まず、「芸術」と言った場合は、全てが「抽象」ですから、厳密に言えば、「具象芸術」と言うものは存在しないということに成りますし、「表現」とか「作品」と言った場合には、全てが「具象」に成りますから、完全な「抽象画」とか「抽象表現」は存在しないということに成ってしまうわけなのです。


もちろん、これは、あくまで「厳密に言えば」ということですから、目指す方向性としての「具象芸術」とか「抽象画」や「抽象表現」と言う言葉があっても、さほどの矛盾は感じませんし、そういう言葉がないとむしろ不便かなとも思いますけどね。


でも、少なくとも、「抽象性」と「具象性」は、それぞれ属しているところが違っているのであって、同じ領域の中で対立しているわけではないということぐらいは、頭に置いておいてもいいんじゃないのかなと。


まとめると、「抽象性」は「芸術的思考」に属していて、「具象性」は「創作」や「表現」などの「芸術的思考を具体化すること」に属している。
そして、その二つが両方揃わないと、「芸術表現」は成り立たないということなんじゃないのかなと。


という、そんなことに気が付きました。





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