FC2ブログ

「芸術」に「肉体」を取り戻す(つづき)



前の記事からの続きです。


「芸術に肉体を取り戻すにはどうすればいいのか?」ということなんですが、そうは言っても、簡単なことではありませんから、『こんな風に考えてみました』と言う程度の話ですけどね。

でも、こういうところを「投げ出さない」ということが一番大切なことじゃないかと思っているので、「結論」なんか出なくたって、考えてみるわけです。


だいたい、こういう「創作に対する根本的な意識」の話に置いて、『そんなヘリクツこねてないで、いい作品を創りさえすればいいんだよ!!』と言う態度がよくないと思うわけです。

それでは、結局、『芸術の世界で権力を得た者が上からものを言う』という形から、いつまでたっても抜け出せなくなってしまいますからね。


それに、『そんなヘリクツこねてないで、いい作品を創りさえすればいいんだよ!!』と言うのは、『わかりません』とか『結論が出ませんでした』と言うのが悔しいから、言っているだけなんだと思いますね。
要するに、言い訳ですね。


『だって、考える時間ぐらいあるでしょ!?』

『自分が一番一所懸命にやってることについて考えないで、あなたナニ考えるって言うんですか!?』

『第一、それじゃ、あなたが言っている「”イイ”作品」っていうのは、何をもって”イイ”といっているのですか?』

という感じですね。


さて、話を戻すと、『芸術に肉体=実体を取り戻すためには、どうすればいいんだろうか?』と言う話です。


これは、やはり「具象性」をもう一度見直す必要があるのだと思うわけです。

と言っても、「具象表現」に戻ったのでは、単なる逆戻りになってしまうので、そこは、やはり、「変化」しないとならないわけでしょうね。


そもそも、「具象性」を破壊しつくしてしまったために、「芸術」が「肉体性」つまり「実体」を失ってしまったのでしょうから、「具象性」を取り戻せば、「芸術」に「肉体」を取り戻すこともできるのだと思うわけですね。


しかし、そうは言っても、「具象表現」に戻らずに、「具象性」を取り戻すにはどうすればいいんでしょう?
そこで、いきなり話が難しくなってしまうわけですね。

それで、「具象」は破壊されたまま、百年以上も放置されて続けているんでしょう。
やっぱり、「抽象性」と「具象性」は共存できないということなんでしょうか?


私は、そんなことは無いと思うんですよね。

これは、考え方や捉え方の問題だと思うんですが、「抽象性」と「具象性」は対立するものではなくて、常に、一体のモノなんじゃないかと思うわけです。

つまり、「芸術表現」に置いて、切っても切れない形で、一体化しているのが、この「具象性」と「抽象性」なんだと思います。

だから、「芸術の20世紀」に置いて、「具象性」の方だけを、破壊したことの方が、よほど「ムズカシイこと」であって、その為にかなり無理してきたんじゃないかとも思うわけです。

ということは、どちらかと言うと、「具象性」と「抽象性」が一体化している方が、「より自然なこと」のハズなわけですから、ただ単に、”無理しなければいい”んじゃないかと思うんですよね。


要するに、全ての「芸術表現」は「具象」と「抽象」の間にあるわけで、言い換えれば、その両方の性質を持っているわけです。
「持っている」と言うよりは、「持たざるを得ない」と言うべきかもしれませんね。


つまり、「具象性」がないと、何も伝わらなくなりますし、「抽象性」が全くないモノを「表現」とは呼べないでしょうから、どんな「作品」にも、それらは「必ず両立している」ともいえるわけで、二つのうちどちらかを失えば、それは「芸術表現」と言う枠からも外れてしまうんだと思います。

だから、この二つの性質を”持たざるを得ない”と言う風に思うわけですね。


19世紀あたりまでの「芸術」においては、その「両立の形」が「具象の中に抽象性を取り入れるという形」であったわけです。
つまり、全体的には「具象」で、そこに個々の作家たちが、独自の「抽象性」を取り入れていたということだと思います。

ただ、ここでの「抽象性」は「具象性」と対立するモノではなく、「具象表現」に独自の解釈を加えるというようなソフトなものであったために、あまり「抽象」として意識されることはなかったんだと思います。

そして、その「両立の形」に長い間固着してきたことに、ウップンがたまっていたんでしょうね。
それで、19世紀末から20世紀初頭にかけて、「具象性」を徹底的に破壊するというスタイルが現れて来て、しかも、それが受け入れられたんだと思います。

そして、そのスタイルがあまりに斬新で、革新的に見えたために、その過程で、「芸術」が「肉体性」を失って行ったことが見過ごされてしまったんじゃないでしょうか?

しかも、そのような形で、一旦、「芸術」が極化してしまったために、その後は、「肉体性」を持ったものは「古臭いモノ」にしか見えなくなってしまい、結果的に、更に「肉体性の希薄なモノ」へと傾倒していくしかなく成ってしまったんだと思うわけです。


つまり、「虚構」へ向かって行ってしまったわけですね。


と言うところで、ちょっと長く成ったので、また次の記事に続けます。



関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR