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「秘題」と言う考え方



「芸術作品」のタイトルで「無題」と言うのがありますよね。
あれが、どうも好きになれないわけです。

『すごくイヤ!』っていうほどじゃないんですけど、『あぁ、無題ね』っていう感じで、もう見飽きちゃってるわけですよね。
(さすがに、最近少なくなったみたいですけどね。『それもまた流行りかよ!』って思います)


とは言え、ここまで言っておいてなんですが、いざ、『「題」をつけろ!』と言われれば、自分自身も困ってしまうという状態なわけなんです。

まぁ、要するに、「抽象画」なんかに「題」をつけにくいということは、頭ではわかっていても、「題」をつけないということが、どこか「潔くない」と言うウシロメタサみたいなものがあるということなんですね。


でも、最近に成って「秘題」と言う考え方ならいいかなと言う風に思っているわけです。


要するに、同じ「題名がない」ということでも、本当は「題があるんだけど、それが隠れている」ということですね。
或は、「題」はあるんだけど、それを「言葉にはできない」と言ってもいいでしょう。

 ※こういうの、他にも言っている人がいるんじゃないでしょうか?
  もし、そうなら、もう少し普及させてもいいんじゃないかと思いますね。


いずれにしても、「題が無い」じゃなくて、「題はある」んだけど、それが示されていないだけ、言い換えれば、「題名」は無いけど「題」はあると言う感じですね。
「題がある」ということで、少しイイんじゃないかと思うわけです。

『それって、単なる、言葉上の問題なんじゃないの?』と言われれば、『その通りです』ということなわけですが、でも、「言葉の問題」と言うよりは「意識の問題」と言ってほしいということですね。


自分のことで言えば、なんとなく「無題」と言われると拒絶されるような感じがあったんじゃないかと思います。


初めは、「抽象画」が「無題」なのは、むしろ当然のことだと思っていましたし、『この作品にタイトルをつけろと言う方が無理』っていうのも多いんでしょうから、どうとも思っていなかったと思うんですけど、あまりに繰り返し「無題」という「題」を見せられるので、だんだん、誤魔化されているような気分に成って来たということがあったんだと思います。

何をどう誤魔化されていると思ったのかは、自分でもわかりませんけどね。


それで、いつの間にか「無題」を見るたびに、心のどこかで、『なんか、タイトルをつけろよ!』って思うように成っていたような気がします。
(あと、どこがどう「作品」と結びついているのか「さっぱりわからない題」というのもよくある。)


「その作品の目指すところ」っていうんですか?
そういう、「その作品で作者が示したかったモノ」っていうのが、ほとんどの場合はあるんでしょうから、それをタイトルにした方が「潔い感じ」がするわけですね。

とは言え、やっぱり「抽象」に「題」をつけるのは難しいでしょうから、その辺で、「秘題」っていうのも「アリ」なんじゃないかと思うわけです。


「無題」と言うと、どこか見る者を拒絶しているようなところがあると思うんですが、まぁ、例えばの話、『勝手に具象みたいな解釈をつけないでください!!』とか、『これ〇〇みたいに見えるんですけど、どうなんですか?なんて言われても困ります!!』と言う感じで、見た人が率直に感じたままを言うと作者に叱られそうな気がするわけですね。

「無題という題」が、そういう「見る側の解釈」を拒んでいるように感じてしまうことがあるんですね。

でも、「秘題」だと、見た人が「題」(テーマ)について想像してもいいのかな?っていう気持ちに成れるような感じがするわけですね。
(まぁ、そううまくもいかないんでしょうが)


それに、「作者」が「無題」の作品に、ニックネームのようなものをつけて、自分の中だけで呼んでいることなんかもあるんじゃないかと思うわけです。
(私はあります)

そういうのって、まさに「秘題」ということなんじゃないかなと。


そんな感じで、『題名は無いけど、題はあるんですよ』と言う考え方もあっていいんじゃないのかなと。

そんな風なことを考えております。

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追記

この記事を書いた後、しばらくしてから、「抽象画」にも「題」をつけられるんじゃないかと思うようになりました。
(これについては、「長い題=詩のような題」というカテゴリに書いています)

「作品のタイトル」と言うよりも、『見た人に語り掛ける言葉』というイメージです。

私は「腰の低い抽象芸術」と言うのを目指していますから(要するに、『できる範囲でわかりやすくするけど、出来ない範囲ではわかりやすくしない』と言うようなことです)、こういうことで、少しでもわかりやすく成ればいいかなと。

まぁ、そんな風に思ったというわけです。


最近の流行りとしては、抽象的な作品にも、やや無理をしてでもタイトルをつけるという感じに成っているようですが、『その「タイトル」が、またワカリニクイ』と言うことが多いんですねぇ。

要するに「タイトル」が一種の「ナゾナゾ」みたいになってるんですねぇ。


でも、どうせ「題」をつけるなら、見る人の立場に立ってつけようかなと。

そんな風に思うわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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