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「絵画」の「モノ化」



「絵画の歴史」を一番初めの段階まで遡っていくと、おそらく、地面や洞窟の壁なんかに描かれた絵に行き着くんだと思います。
そういう、おおもとのところで壁などに描れていたことから、古い時代の「絵」は建築装飾など、何かしらのデザインとしての「絵」であることが多いんだと思うわけです。


そういうナニカの「意匠としての絵」から、徐々に発展していって、いわゆる「タブロー(独立した表現としての絵)」としての「絵画」に成るのには、かなりの年月を要したんようですが、その「意匠としての絵」から「独立した絵画」への歴史と言うのは、「装飾の一種としての絵」から「芸術作品としての絵画」への歴史でもあると思うわけです。

つまり、作者の「自己表現」として独立していったということなんだと思います。


独立したから「自己表現」としての性格を持つようになったのか、「自己表現」の部分をを強く出したくて「独立した絵画」の方向に進んだのか、そこのところは、今となってはどちらなのかわかりませんけど、少なくとも、「独立すること」は「絵」が「芸術としての絵画」に成るためには必要なことだったと思うわけです。


つまり、それまでは「他のモノ」に何らかの形で依存していた「絵」が、「芸術作品」として独立して「モノ化」したわけですね。

 ※ここで言っているところの「芸術表現としてのモノ化」は、どちらかと言えば、
  むしろ「精神化」・「思考化」であって、「物質化」とは反対の方向性を持って
  いるということになります。
  つまり、その前の時代までは、「芸術」=「作者の自己表現」という方向性自
  体が希薄だったという前提で、その「芸術」が「自己表現」として確立されて、
  独立した「モノ」に成ったことを「モノ化」と言っているわけです。


ただし、これは「モノ化」と言っても、あくまで、「芸術というモノ」であって、「物質」と言う意味での「物」ではないわけです。
結果的に「モノ化」することで、かえって「精神性」が強調されたということであって、「物質的な性質」が強調されたと言うことではないと思うわけですね。


この「モノ化」には程度と言う問題もあるんだと思います。


つまり、更に「独立性」を高めていって、「世界と切り離された存在としての絵画」を目指すとか(例えば、見る者の理解を拒んでいる絵のような)、「物質」から抜け出して、「精神性」をさらに高めるために、「モノ化」自体を切り捨てるとか(こちらは「パフォーマンス」などの「非物質的な芸術表現」ということですね)と言った、「モノ化」のレベルにかなりの幅があると思うわけです。


しかし、この「モノ化」は、そこまで「極める」必要があるものでも無いような気がします。

要は、「独立」してさえいればいいわけで、それは一種の「約束事」として、『これは独立した芸術作品ですよ』と言う「約束」の下に、それが存在していることに意味があるわけです。

だから、その「約束」が成り立っていれば、それ以上「モノ化」の程度を、、高める必要はないんじゃないかと思うわけですね。


この「モノ化の程度」に必要以上に固執すると、どうも「芸術」としての方向性が見失われる傾向が、あるんじゃないかと思っているわけです。


「モノ化の程度」=「芸術の程度」と言う発想で考えていくと、結果的に、『より「芸術」でありさえすれば、内容なんて大した問題じゃないんだ!』と言うようなことが起きて来るように思います。


「モノ化」は、あくまで「芸術の独立」のためのものであって、「芸術」のためのものではないんだと思うわけです。
だから、「約束事」としての「独立性」が確保されていれば、それ以上に「モノ化」を極める必要はないんじゃないのかなと。

本当に、極めるべきは「自分」ではないのかなと。

極めるというよりも「見極める」と言うことなのかもしれませんね。

そんな風に思います。


 ※ここで言う「モノ化」には「独自化」の意味も含まれますから、「自分を見極めること」
  も含まれますが、それは「独自性」を「人と違うこと」と考えるか、それとも、「自分であ
  ること」と考えるかで、意味が違ってきます。
  「人と違うこと」は「ひと」が基準に成りますが、「自分であること」は「自分」が基準に
  成るわけです。
  必要以上に「モノ化」を追っていくと、どうしても「人と違うこと」をやらなければならなく
  成ってしまいます。
  それで、結果的に「芸術表現」としての「自己」を見失ってしまうこともあると思います。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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