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「歳をとる」の種類



このブログでは、『歳をとることが、もっと尊敬されてもイイんじゃないか』と言っているんですが、それは、『歳をとった人はみんなエライ』ということでも無いわけです。


実際、歳をとっていても、『なんなんだ、こいつは!』っていう方はたくさんいらっしゃいますよね。

そういう個々の人の話ではなくて、「歳をとること全般」の話として、『歳をとることは、もっと尊敬されてもイイんじゃないか』と言っているわけです。


少なくとも、誰でもみんな「歳をとる」わけですから、「歳をとること」が尊敬されないということは、『全ての人が死ぬ時には尊敬されない状態で死んでいく』ということに成るわけです。

まして、その「尊敬していなかった側の人たち」が、その後、年を取って行くわけですから、『全ての人が自分を否定した状態で死んでいくハメに成る』ということですね。


これは、ちょっとどうなんですか?
これを受け入れられる人っているんですかねぇ。

私には到底シンジラレナイわけです。
だから、「歳をとること」を劣化とみるような風潮があることは、とても愚かなこととしか思えないわけなんですよね。


そうは言っても、「尊敬できない年寄り」が居ることも、また否定はできないわけです。
それは、恐らく「歳をとるの種類」が、いろいろあるからなんだと思うわけです。


そもそも、「歳をとる」と言っていますけど、『ただ単に時間が経過すれば歳をとるのか?』って言う問題があるわけです。


まず、子供の場合だと、ほとんど「白紙」の状態から、いろんなことを吸収していきますから、日々色々と進歩しているわけですよね。
だから、ほとんどすべての子供は、時間とともに「歳をとって」大人に成るということですね。

でも、一旦大人に成ると、ほとんどの人が、必要最低限のことしか吸収しなくなって、必ずしも、「日々色々と進歩」するとは限らなく成るわけです。
だから、人によって「歳をとる」にチガイが出て来るんでしょうね。


その「チガイ」の部分が「歳をとるの種類」なんだと思います。


大人に成ってからは、精神的にまったく変化しなくなってしまう人もいますよね。
そういう人が、多いので、「歳をとること」の中の「肉体的な変化(老化)」だけが目についてしまって、「老化」=「劣化」ということに成ってしまうんだと思います。


でも、その反面、子供と同じぐらいに、いつも変化し続ける人もいます。
こちらも「肉体的な変化」に置いて、衰えていることに変わりはないんでしょうが、むしろ、全体としては成長しているように見えることが多いですね。

長い年月の中での、こういうチガイはとても大きいんじゃないかと思うわけですね。


ただ、必ずしも、「たくさん変化し続けた人がエライ」ということでも無いんじゃないかと思います。
ただ単に、「一切変化しない」と言うような、凝り固まった状態に成ってさえいなければ、そこでの時間の経過は「歳をとること」に成るんだと思っています。

そういう種類の「歳をとること」を、私は”エライ”と思ってしまうわけなのです。


そして、そういう「歳をとること」が社会の中で尊敬されるように成って行けば、今よりも、少しいいんじゃないのかなと。


そういう風に思っているわけですね。


 ※こういう形で「年を取った人」というのは、けっこうたくさんいるんだと思います。
  必ずしも、知識階級の人とは限らないと思います。
  例えば、生涯を通じて農業をやってきた人でも、日々工夫や研究を重ねている
  人もいますし、買ってきた種や肥料をまいているだけの人もいると思います。
  それとは逆に、研究者や学者であっても、誰かの学説を信奉して、それを踏襲し
  続けることで、学術的に高く評価されるようになる人もいるでしょうし、独自性の
  高い研究をした人でも評価せれない人もたくさんいるでしょう。

  つまり、私は、「ただ、種をまいたこと」や「ひたすら踏襲し続けたこと」を、「変化し
  た」とも「年を取った」とも言わないと思うわけですね。




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