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「サイン」と言う行為



私は、どうも、「作品」の片隅に「サイン」を入れるという、あの行為が好きになれないのです。
実際、今までに、「作品」に「サイン」を入れたことは一度もありません(たぶん)。


他人が「サイン」を入れることについて、とやかく言うつもりはありませんけど、自分のことに限って言うと、どうしても「サイン」を入れる気にはなれませんね。


どういえば、上手く説明できるのかわかりませんが、敢えて言えば、「サイン」を入れると、「自分がエライと言っていること」になってしまうような気がするわけです。

それで、「サインと言う行為」を受け付けられないというわけですね。
(まぁ、実際に偉く成るわけではないですけどね)

それとは全く逆に、『この作品についての責任は私が取りますよ』と言う意味で、「サイン」を入れるという人もいるのかも知れませんが、今のところ、私はそういう人に会ったことがありません。


けっきょく、「サイン」を入れる側がどう思っていても、絵を見た人はほとんど、「エライ」の方に近い意味で「サイン」を解釈するんだと思います。


それともう一つ、『絵でサインしたい!』ということもあります。


つまり、「絵」を見て誰の「作品」なのかがハッキリとわかるのならば、「サインと言う行為」は必要なく成るということです。


『誰の作品かがハッキリわかって』
『描こうとしても、他の誰にも描くことが出来ないような』
『そして、自分ですら、二度と同じものを描くことが出来ないような』

そんな「絵」を描きたいもんだなと思っているわけです。


そうすれば、「サイン」は必要なくなるんじゃないのかなと。

「サインと言う行為」を受け入れてしまうと、「そういうモノ」は描けなくなってしまうんじゃないのかなと。


そんな風に思っているというわけです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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