「芸術」は「弱者の嗜み」だと思うのです
「芸術」って、「強い者」と「弱い者」で言ったら、「弱い者のモノ」なんじゃないかと思うわけです。
いや、別に「芸術」をやる人がみんな「弱い者」だというわけではないですよ。
それに、必ずしも、「弱い者」の方が「芸術」に向いていると言う話でもありません。
ただ、やっぱり、「芸術」は、どちらかと言えば、「優しい人」や「弱い者」の側にあって欲しいなと思ってしまうわけなのです。
たぶん、そういう人の方が「人間的」な感じがするということなんだと思います。
まぁ、私jは「芸術」にとって「人間性」が一番大事だと思っているんで。
もちろん「強い人」が悪いということはありませんし、「強さ」が無ければ「本当の優しさ」もないでしょうから、「弱いだけ」でもダメなんでしょうが、そういうことを全部ひっくるめたうえで、敢えて最後のところで言えば、どちらかと言うと「弱い者の側」ということですね。
何が言いたいかと言うとですね、「現代の芸術家」が「強い者」を演じているように思える時があるわけです。
本当は、どちらかと言えば「弱い側」なのに、無理に「強い側」であろうとしたり、「自分の強さ」と「作品の強さ」が比例しているというイメージを作り出そうとしているように見える時があるんですね。
でも、「芸術の強さ」は「弱さを認めると言う強さ」なんだと思うのです。
或は、「自分の弱さに踏み込む強さ」なのかも知れません。
だから「弱い側」に立たないと見えてこないものなんじゃないかなと。
つまり、「作者の強さ」と「作品の強さ」とは、むしろ、反比例するという傾向があるんじゃないかと思うわけです。
そこのところを、「過去の偉大な芸術家のイメージ」に振り回されて、「強い者」を演じているように見える時があるわけですね。
実のところ、「過去の偉大な芸術家」と言っても、歴史の中で作り上げられた「虚像」の部分を取り除いたら、意外と「弱い側」だったりすることも多いような気もするし、何かしら「ドロップ・アウト」した後で、傑作を生み出したケースなんかもあるようなので、そんなイメージに左右されることに意味はないでしょう。
まぁ、いずれにしても、「芸術」くらいは、「弱い者の嗜み」ということにしておいてもいいんじゃないのかなと。
そんなことは、通りませんでしょうか?
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