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「流行を追うこと」は「今を演じること」



「流行を追う」という言い方がありますけど、現代において「流行を追いかけること」と言うのは、「今を演じること」なんだと思うわけです。


要するに、「演技」の一種なんじゃないかと思うわけですね。


もし、「流行を追うこと」が「演技」なのだとしたら、それは一種の「虚像」でもあると思うんですが、どうなんでしょうね?
つまり、演じている当人の意識とは関係なく、「今」と言う台本に沿って、「演技」しているということに成るわけです。


本来的には、「流行」と言うモノは、その時代の「民衆の意識」が向いている方向に沿った形で、現れて来る”ハズ”のモノなんだと思うわけですが、現代においては、その辺のところが、かなり逆転していて、「民衆の意識」に基づいて「流行」が形成されるのではなくて、「流行」に基づいて、「民衆」がソレを台本どうりに演じさせられているということに成っているように思うわけです。

結果的に、ソコには「民衆の意識とはかけ離れた流行」と「ソレを演じさせられている民衆」が居て、言い換えれば、「虚像」だけがあって、「実像」がないということに成っているわけです。


そこで、どうして、このような「虚構の世界」が出来て来てしまうのだろうかと考えてみるわけですね。


まず、考えられることは、現在、「流行」するモノが、「マスコミ」によって配信されるモノに限られてしまっているということがありますね。

つまり、そこで、「マスコミ」が「民衆の意識」を正確に捉えられていなければ、「民衆の意識から離れたモノ」が配信されてしまうわけです。
そして、一旦「マスコミ」によって配信されてしまうと、ソレは「民衆」によって演じられて、「流行」してしまうわけですね。


この「マスコミ」の影響は、けっこう見えやすいものだと思います。
しかし、見えていても抜けられないものでもあります。

「ソノ流行」が、「民衆の意識から離れたモノ」だとわかっていても、「ソノ今」を「演技」していないと、「時代」に置いて行かれてしまいますから、それで抜けられないわけですね。


それから、もう少し見えにくい原因もあって、こちらの方が、一層厄介な気もしますね。


こちらは、「流行」と言う言葉の根本的な意味にかかわることかもしれませんが、「民衆」の中に、『自分たちで流行を作ろう!』と言う意識がほとんど無く成ってしまっているんですね。

「流行」とは、「流行っているモノに乗っかることだ!」と思っている人が多いんじゃないでしょうか?


確かに、「流行」には、そういう「ハヤリモノ」としての性質もあるんだと思います。
でも、それは、「民衆の意識」を、誰かが代弁して、「ハヤラセル」ということであって、『そうそう、こういうのが欲しかったんだよね!』と言う「民衆側の共感」があってのことで、その上で、『流行に乗っかる』があるハズなわけです。


でも、「現代の流行」では、その『そうそう~』に当たる部分が抜けているんじゃないかと思うわけですね。
つまり、自分たちの意識が代弁されているかどうかということは、どうでもよくて、とにかく「ハヤッテいるモノに乗っかる」ということ自体が重要なことのように成ってしまっているわけで、そのことによって、「流行」と「民衆の意識」の逆転が起きてしまうわけなのです。


そして、やはりソコには「今を演じさせられている人たち」と「民衆の意識からかけ離れた流行」と言う「虚構の世界」だけがあって、
実体のあるモノは何一つないと言ってもいいほどなのだと思うわけです。


もう少し、『流行とは民衆が創り出すモノだ!』という気持ちがあってもいいような気がしますし、『気に入らない流行は拒否する!』という気概があってもいいような気がします。


それから、「芸術」に置いてこのことを考えた場合なんですけど、「芸術にかかわる者」が「今」を演じてしまうって言うのはどうなんですか?と思うわけです。

そういうのを、私は「芸術の中心」から最も遠い位置にピンで留めて置きたく成るということですね。


そんなことを考えてみました。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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