二種類の惹きつけられるもの
人間が「惹きつけられるもの」の中には、「正」と「負」の二種類の「惹きつけられるもの」があると思うのです。
「正」の方は、人間にとって「有益なモノ」で、「負」の方は、人間にとって「害に成るモノ」ということですね。
たとえば、「正」の方で言えば、「美味しそうな木の実」とか、「美しい花」とか、「素敵な異性」とかですね。
人間は、そういう利益があって、害は無いようなものに惹きつけられることで、「トク」しようとするように、遺伝子レベルで刷り込まれているんでしょうね。たぶん。
逆に、「負」の方で言うと、「毒のある植物や動物」とか、「危険な猛獣」とか、「素敵じゃない異性」とかですね。
(いや、外見じゃなくてですね)
そういう不利益や害に成るようなものに注意を向けて、それを避けるように、やっぱり遺伝子レベルで刷り込まれているんだと思います。
そして、この「二つの惹きつけられるもの」が芸術の場に持ち出された場合、区別しにくくなると思うわけです。
どちらも同じように「惹きつけられるもの」であるために、それが「正の惹きつけられるもの」なのか、それとも「負の惹きつけられるもの」なのかが、把握しにくいんでしょうね。
まして、芸術の場に置いては、あらゆる手法がありますし、技術的にスバラシイ作品だったりもしますから、そちらに目を奪われて、それが「正」であるか「負」であるかが、見落とされてしまうこともあるんだと思います。
でも、やっぱり、芸術に置いて、「負の惹きつけられるもの」の方を使うのには、少し慎重に成ったほうがいいような気がするわけです。
はじめに述べたように、遺伝子レベルで「惹きつけられるもの」が刷り込まれているんだとすれば、当然、「負」の方が強く惹きつけられるということが出て来るわけです。
サバイバル的な意味では、「危険回避」が最優先ですから、「負」に強い興味が行くのは当たり前と言えば当たり前のことでしょう。
確かに、「グロテスクなモノ」や「恐ろしいモノ」は、非常に強く人の意識を惹きつけますが、それは、本当の意味で好まれているのとは違うような気がします。
そうした「負の要素」を使ったとしても、最終的には「正」に着地したほうがいいんじゃないかと思うんですね。
芸術はやはり「正の惹きつけられるもの」であってほしいなと思うわけですね。
(自分の絵は、よく人から気持ち悪いと言われますけど)
そして、鑑賞者の側も、それが「正の惹きつけられるもの」か「負の惹きつけられるもの」かを、判断の基準として、しっかり持っていたほうがいいんじゃないかと思います。
芸術の場合、この判断はとても難しいので、一概には言えませんけど、少なくとも、そういう「意識」があるのとないのとでは大きな差があると思いますね。
それでないと、なぜか芸術に触れるたびに気持ちが落ち込んで、気分が悪く成るなんてことにも成りかねないので、出来るだけ、「正の惹きつけられるもの」を使って行った方がいいんじゃないのかなと。
そんなような気がします。
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