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「自分の補色」



「色」には「補色関係」と言うのがあるわけですけど、それは、必ずしも定型的なものではないんじゃないか?と最近思っているわけです。

ある「色」に対して、その「色」の正反対の「色」を「補色」と言っているわけですが、それが、言われているほど決まりきったものでもないんじゃないかなと思うんですね。

要するに、「その人の補色」と言うのがあってもいいように思うわけです。


「補色」と言う言葉を、光学上の、「補色」と考えれば、それは決まりきったものなのでしょうが、「補色」を隣り合わせに置いたときや、重ね合わせたときに「響き合う色」と考えれば、その「響き」の感じ方の違いによって、「補色関係」も変わって来るんじゃないかと思うわけですね。


つまり、「光学的な補色」と「絵画的な補色」を、それぞれ違うものとして捉えたら面白いんじゃないかということです。
(これは科学的な話ではなく、あくまで感覚的な話です)

少なくとも、そうすることで「自分の補色」と言う感覚が生まれますし、決まりきった色使いから逃れるためのヒントにもなるような気がしています。

まぁ、幅が広がるというようなことですね。


絵を描く人ならだれでも、『これは自分の色だな』と言う感覚でとらえている色があるんじゃないかと思うんですね。
それは、単色である場合もあるでしょうし、いくつかの色を混ぜ合わせた色である場合もあるんでしょう。

だったら、「補色関係」にも「自分の補色」があってもいいわけですし、それが、いわゆる「光学的な補色」と一致している場合もあるし、そうでない場合もあっていいような気がするわけです。


確かに、「光学的な補色」は理に適ったモノでしょうし、「自分の補色」は理に適っていないモノかも知れませんけど、そういう「理に適っていないモノ」にこそ、グッ!と惹きつけられたりもするわけです。


色だけに限ったことでも無く、画面の中で、そういう「自分の〇〇」を見つけ出すことこそが、「自分の絵」そのものなんじゃないのかなと。

「イワユル・イイ絵」を描くことにどれほどの意味があるのかと。

「自分の絵」を描くことが「自己満足」なのか?
それとも、「イイ絵」を描いて、人から褒められて「イイ気持」に成ることの方が「自己満足」なのか?

または、どっちもどっちなのか?

そんなことどうでもいいのか?


「と、いつも考えている人ってアホでしょうか?」

『あー、そういうのは完全にアホですね』

「同意する!」



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