FC2ブログ

「自分の補色」



「色」には「補色関係」と言うのがあるわけですけど、それは、必ずしも定型的なものではないんじゃないか?と最近思っているわけです。

ある「色」に対して、その「色」の正反対の「色」を「補色」と言っているわけですが、それが、言われているほど決まりきったものでもないんじゃないかなと思うんですね。

要するに、「その人の補色」と言うのがあってもいいように思うわけです。


「補色」と言う言葉を、光学上の、「補色」と考えれば、それは決まりきったものなのでしょうが、「補色」を隣り合わせに置いたときや、重ね合わせたときに「響き合う色」と考えれば、その「響き」の感じ方の違いによって、「補色関係」も変わって来るんじゃないかと思うわけですね。


つまり、「光学的な補色」と「絵画的な補色」を、それぞれ違うものとして捉えたら面白いんじゃないかということです。
(これは科学的な話ではなく、あくまで感覚的な話です)

少なくとも、そうすることで「自分の補色」と言う感覚が生まれますし、決まりきった色使いから逃れるためのヒントにもなるような気がしています。

まぁ、幅が広がるというようなことですね。


絵を描く人ならだれでも、『これは自分の色だな』と言う感覚でとらえている色があるんじゃないかと思うんですね。
それは、単色である場合もあるでしょうし、いくつかの色を混ぜ合わせた色である場合もあるんでしょう。

だったら、「補色関係」にも「自分の補色」があってもいいわけですし、それが、いわゆる「光学的な補色」と一致している場合もあるし、そうでない場合もあっていいような気がするわけです。


確かに、「光学的な補色」は理に適ったモノでしょうし、「自分の補色」は理に適っていないモノかも知れませんけど、そういう「理に適っていないモノ」にこそ、グッ!と惹きつけられたりもするわけです。


色だけに限ったことでも無く、画面の中で、そういう「自分の〇〇」を見つけ出すことこそが、「自分の絵」そのものなんじゃないのかなと。

「イワユル・イイ絵」を描くことにどれほどの意味があるのかと。

「自分の絵」を描くことが「自己満足」なのか?
それとも、「イイ絵」を描いて、人から褒められて「イイ気持」に成ることの方が「自己満足」なのか?

または、どっちもどっちなのか?

そんなことどうでもいいのか?


「と、いつも考えている人ってアホでしょうか?」

『あー、そういうのは完全にアホですね』

「同意する!」



関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR