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現在形の「リアリズム」について



これは、私の個人的な感想なんですけど、現在形の「美術」(とくに「絵画」かな?)に置いて、「リアリズム」に戻りつつあるような傾向があるように思うわけなのです。
(最先端の美術ということに成ると、もっとトーイ・トコロに行ってしまったという印象ですが)

つまり、「抽象表現」に限界が見えてきたことで、「具象表現」に戻ってきているんじゃないかということですね。
戻ってきたというよりも、行き過ぎて跳ね返ってきたという感じなのかも知れませんね。


個々の作家のスタイルについては、それぞれの自由なんでしょうが、「芸術」と言う分野として、『「抽象」の方は放っといていいんですか?』ということが気に成るわけなのです。


「芸術全体」として考えた場合、「抽象表現」をホッタラカシにしてイイとは思えないということですね。


「芸術」と言う分野としての「抽象」と言う「問い」に対する「答え」は、まだ提示されたことが無いような気がするんですね。


「具象表現」に関しては、もともとシッカリした「体躯」を持っていたように思いますし、その「体躯」を持ったまま、行き詰って行ったということなんだと思います。
(もう、具象はダメなんだっていうことじゃないですよ)


しかし、「抽象表現」に関しては、いまだに、そういう「シッカリした体躯」に当たるモノが示されたことが無いような気がするわけです。

「芸術の20世紀」に置いては、常に「抽象表現」にまつわる「仮の回答」が提出されては、引っ込められるでもなく、霧散してしまうというようなことの繰り返しだったような気がします。


もちろん、そうした「仮の回答」は、今も「名作」と言われているわけですが、それなのに、そのスタイルはどれも一過性の「流行り」であったように見えてしまうわけなのです。


つまり、それらは「個々の作家のスタイル」であって、「芸術全般」としての「抽象に対する解答」ではなかったということなんだと思います。

だから「体躯」を感じられないんですね。
そして、「体躯」を持たないまま行き詰ってきているわけです。

やはり、「芸術全般」としての「抽象に対する解答」が、示されていてしかるべきだったように思うわけです。


まぁ、「体躯」を持った状態で行き詰っても、「体躯」を持たないまま行き詰っても、どっちみち行き詰るなら同じことだと言われれば、そうかもしれませんけど、

私は、そう思わないということですね。


そこを、ホッタラカシにして、「リアリズム」に戻ってしまうと、方向がさらにズレていってしまうと思うんですよね。
だから、今のうちに、「抽象に対する解答」を導き出しておいた方がいいんじゃないのかなと。

そんな風に思います。


要するに、「抽象表現について考えること」が「メンドクサイこと」になって来てるんだと思います。

みんなで寄ってたかって「抽象」を論じていた時には、それについて、一所懸命に考えていた人も、それについて考えることがメンドクサクなってきたら、考えなくなってしまったわけですね。


でも、芸術って、「みんながが考え無く成ったから、自分も考えなくなる」じゃなくて、どっちかっていうと、「みんなが考えなくなったから、自分は考える」の方なんじゃないのかなと。


そんなわけで、「現在形のリアリズム」は「抽象」の方にこそ見つけ出していきたいもんだなと。
「具象」で行くなら、見つけ出すべきは「現在形のアンチ・リアリズム」に成るんだと思いますね。
「具象」と「抽象」を両立させる形で論じられないと、展開できなくなっているんだと思うんですよね。

それでないと、同じところを堂々巡りすることに成るんだと思います。


そんな中で、「出来ないこと」は『できませんでした』と言うべきでしょうし、そういう「出来ないこと」こそ、無駄でも一所懸命になってやるべきでしょうし、「出来ること」があるなら、他人からどんなにバカにされてもやるべきでしょう。


そういうのが、いま「芸術」と言えるモノなんじゃないのかなと。


私はそんな風に思っているわけです。


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