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「オプティカル・カラー(オプティカル・グレー)」



前の記事に関連したことに成ります。


自分にとっての「補色関係」をみつけだしていったら、いろいろな意味で、幅が広がっていいんじゃないか?ということなんですけど、その「自分の補色」ってどんなもんなんだ?と言う話です。


それは、つまり「響き合う色の関係」だと思うわけです。

隣り合わせに置いたときや、重ねていったときに、単色では表せないような「不思議」な「色の共鳴作用」のようなものが現れてくることがあるわけですね。

そういうのを「響き合う色」と言っているわけなんです。


そういう「響き」は、人によって感じ方がかなり違うような気がしますね。

ある「色の関係」を、ある人は非常に美しいと感じるのに、他の人にとっては、なんてことないようにしか思えないというようなことがあるようです。


要するに”ビミョー”なんですね。
だから、人によって反応が分かれるんだと思います。


その「”ビミョー”な感じ」や、「不思議な感じ」の色を「オプティカル・カラー」と呼ぶことがあるわけです。
「オプティカル」と言うのは「光学的な」とか「錯視的な」と言うような意味だと思います。

つまり、光の”ビミョー”な具合で、目が錯覚を起こすような不思議な見え方を誘うような色ということなんだと思います。


この「オプティカル・カラー」は、もともと、アカデミックな技法に置いても研究されていたようで、そちらでは、おもに「オプティカル・グレー」と呼ばれていたんだと思います。

なぜ、「グレー」なのかと言うと、色と色が”ビミョー”に反応した時に「オプティカルな色」が現れるわけなんですが、その”ビミョー”な感じを調整していると、ほとんどの場合、ややグレーがかった色に近づいていくということに成るわけですね。

それから、グレーがかった色が一番「目の錯覚」を誘いやすいということもあると思います。

ただ、これは必ずしもグレーを基調にして描いて行くことに限らないんじゃないかと思っています。

古典的な技法に置いては、グレーがかった(彩度を抑えた)色を基本にした中間色を作って描いていくことで、「オプティカル・グレー」を作ることが多いと思いますけど、実際には、グレーをほとんど使わずに「オプティカルな色」を出すこともできるんだと思っています。


確かに、グレーがかった色を使うことで、「オプティカル効果」が生み出しやすく成りますし、ある程度、計算したとおりの「オプティカル効果」を作り出すことも可能になると思いますが、反面、それはある意味での「パターン化」であって、「よくあるセンスのいい配色」と言う「予定調和の演出的」な、言い換えれば”決まりきった色使い”にもなりかねないわけで、そういう「パターン化」に陥らないためには、やはり、もうチョット不安定な、「イチかバチか」な感じの色を使って行く方が面白味があるんじゃないかなと。

さらには、そういうチャレンジこそ、「自分の補色」を探って行くことの意味なんじゃないのかなと。


そして、そういうことをやって行く中で、『なんでこんな色になったの?』と言うような色合いが生まれたときには、自負心などとは全く無関係に、心から、素直な気持ちで「自分の絵」を称賛したく成るわけです。

なぜだかわかりませんけど、私はそういうときが一番うれしく思うわけなのです。


唯一の欠点は、「同じことが、もう一回出来ないこと」ですね。
同じような感じでもう一回描こうとしても、ほとんど同じように成りませんね。


それでも、少なくとも「自分の補色」をいろいろなパターンで持っていれば、そういう一期一会の「オプティカル・カラー」を生み出せる確率は高くなると思うわけですね。


一回しか使えない方がイイのかも知れませんね。
「二回目」はもう「パターン化」し始めているわけですから。

と言う風に思うことにしています。


出来れば三回ぐらいは使いたいもんですけどね。

と言う風には思わないようにしています。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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