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「芸術作品」=「作者そのもの」ということについて



よく『「芸術作品」と言うのは「作者ソノモノ」なんだ!』と言われることがありますよね。

その通りだと思います。


でも、よく言われる割に、このことがあまりシビアに捉えられていないような気がします。
そして、これを、もっとシビアに捉えていった方がイイんじゃないかと思うわけです。


たとえば、「ウマイ絵を描く」ということは、「その絵の作者がウマイ生き方をしている人だ」ということに成ります。

つまり、そういう「イワユル・ウマイ絵」を描くということは、自分が『世の中をウマイこと渡っている人間ですよ』と世間に向かって言っているようなもんだということですね。

でも、実際には、それと反対のことを言っていたりしますね。
たとえば、『自分は生きるのがヘタだから、絵ぐらいはウマク描かないと』みたいに。
だけど、それだと「作品」=「その人」じゃなくなってしまいますよね。

つまり、「その作品」は「その作者」を現していないということに成ってしまうわけなのです。


もしも、もともと「モノスゴク絵がウマイ人」だったとしても、本当に「生きるのがヘタな自分」を現したいならば、「ウマさ」を捨てる方向にもっていかなければならないハズですね。

つまり、「イワユル・ウマさ」ではない「チガウ・ウマさ」(要するに、人から「ウマイ」と言われ無いような「ウマサ」ということでしょうね)を、見つけ出す必要が出て来るということだと思います。


また、そういう、「イワユル・ウマイ絵」を、ありがたがって見るということは、見る人が「そういうウマイ生き方にアコガレテいる」ということに成るわけです。

『そんな風に裏からものを見なくても・・・』ということもあるんでしょうが、「芸術作品」=「作者そのもの」ということを、少しシビアに捉えていくと、こんな風に成るんだと思うわけです。


そして、このように、この点を厳しく考えていくと、「芸術」が見えやすく成って行くことも確かなことなんじゃないかと思うのです。


「芸術作品」=「作者そのもの」ではない、と考える人ならともかく、「芸術作品」=「作者そのもの」だろう、と考える人ならば、やっぱり、その「作者そのもの」がどんな人なのかということを、キッチリと見極めてこそ、初めて「その作品に触れた意味」があるんだと思います。


それでなければ、「作品」と「作者」がズレていても気づかずに、一番肝心なところを見ていないということに成ってしまうんじゃないのかなと。


そんなことを思ってしまうわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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