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「芸術作品」=「作者そのもの」ということについて



よく『「芸術作品」と言うのは「作者ソノモノ」なんだ!』と言われることがありますよね。

その通りだと思います。


でも、よく言われる割に、このことがあまりシビアに捉えられていないような気がします。
そして、これを、もっとシビアに捉えていった方がイイんじゃないかと思うわけです。


たとえば、「ウマイ絵を描く」ということは、「その絵の作者がウマイ生き方をしている人だ」ということに成ります。

つまり、そういう「イワユル・ウマイ絵」を描くということは、自分が『世の中をウマイこと渡っている人間ですよ』と世間に向かって言っているようなもんだということですね。

でも、実際には、それと反対のことを言っていたりしますね。
たとえば、『自分は生きるのがヘタだから、絵ぐらいはウマク描かないと』みたいに。
だけど、それだと「作品」=「その人」じゃなくなってしまいますよね。

つまり、「その作品」は「その作者」を現していないということに成ってしまうわけなのです。


もしも、もともと「モノスゴク絵がウマイ人」だったとしても、本当に「生きるのがヘタな自分」を現したいならば、「ウマさ」を捨てる方向にもっていかなければならないハズですね。

つまり、「イワユル・ウマさ」ではない「チガウ・ウマさ」(要するに、人から「ウマイ」と言われ無いような「ウマサ」ということでしょうね)を、見つけ出す必要が出て来るということだと思います。


また、そういう、「イワユル・ウマイ絵」を、ありがたがって見るということは、見る人が「そういうウマイ生き方にアコガレテいる」ということに成るわけです。

『そんな風に裏からものを見なくても・・・』ということもあるんでしょうが、「芸術作品」=「作者そのもの」ということを、少しシビアに捉えていくと、こんな風に成るんだと思うわけです。


そして、このように、この点を厳しく考えていくと、「芸術」が見えやすく成って行くことも確かなことなんじゃないかと思うのです。


「芸術作品」=「作者そのもの」ではない、と考える人ならともかく、「芸術作品」=「作者そのもの」だろう、と考える人ならば、やっぱり、その「作者そのもの」がどんな人なのかということを、キッチリと見極めてこそ、初めて「その作品に触れた意味」があるんだと思います。


それでなければ、「作品」と「作者」がズレていても気づかずに、一番肝心なところを見ていないということに成ってしまうんじゃないのかなと。


そんなことを思ってしまうわけなのです。




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