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「学問」の落とし穴



「学問」は「人間」にとって必要なモノだと思いますし、「学問」に興味を持って考えることは意味のあることなんだと思います。

ただ、「学問」を「既存の学問を習得すること」だと思ってしまうと、それが「落とし穴」になってしまうように思うのです。


だいたい、「学問」で学ぶようなことと言うのは、かなり偉大な学者たちが、一生をかけて研究したようなことなわけですから、それを、いきなり一般人が「理解」できるわけがないんで、ほとんどの場合は、ただ単に、「教科書」や「本」に書いてあることを「オボエタ」と言うだけなんだと思います。

ところが、それを、どうしたって「ワカッタ」と思ってしまうわけで、そうすると、どうしたって、自分が「オリコウにナッタ」ような気になってしまうんですねぇ。

これが、「学問の落とし穴」になってしまうような気がするわけなのです。


つまり、実際には「オボエタ」だけなのに、自分で考えて「ワカッタ」んだと思ってしまっていますし、それどころか、かなり「オリコウにナッタ」つもりで居るわけですから、もう、それ以上考えて学ぼうとはしなくなってしまうわけです。


ほとんどの場合、また違う本を読んで「チガウコトをオボエル」だけなんですね。
それで、けっきょく、知識が増えていくだけで、「本当の理解」に到達することが出来なくなってしまうわけなのです。


「オボエタ」だけでも、何かの役には立つんでしょうが、「学問」が「人間」にとって、本当に意味があるのは、「考える」ということにおいてなんだと思うのです。

「オボエタ」だけだと、そのほとんどの部分が失われてしまうような気もするんですね。

結果的に「学問」によって、その「学問の一番重要な部分」が阻止されてしまうことになってしまうわけなのです。


それで、チョー一流大学を出ていたり、チョー沢山の本を読んだりしているのに、チョートンチンカンな人っていうのが、よく居らしたりするんだと思います。


たぶん、そういう人が「アホ」なわけじゃなくて、やや従順すぎるだけなんだと思います。

「本を読め!」と言われるから、本を読んで、「考えろ!」と言われないから考えない。
それだけなんじゃないでしょうか?

おそらく、そのほうが、世間的にチョーウマクやって行くのには、近道なんでしょうね。

そして、そうすればチョー一流企業に就職できて、チョー高給取りに成れるかもしれないですね。
でも、チョーつまらない生き方のような気もしますけど、その辺のところ、そういう人たちってどう考えているんでしょうね?


『ああ、考えないのか?』

『じゃあ、良かった』


いえ、皮肉じゃなくてですよ。
取り敢えず、不幸じゃないのならば、いいんじゃないかと思いますね。

『チョー良かった』とまでは思いませんけど。


ただ、「学問」で、もう少し純粋に「人生」が楽しめたら、もう少しイイのかなと。


そういう風に思ってみたりするわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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