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「カルト芸術」:「芸術」はどこまで「自由」であるべきなのか?



『芸術は自由であるべきである』これに異論はないわけです。

しかし、ですね。
そこに、『どこまで自由であるべきなのか?』ということが抜けているんじゃないかと思うわけです。


現在「芸術」には、ほぼ「無際限の自由」ともいえるものが与えられている状態だと思うわけです。
しかし、その「自由」には、本当に一切「限度」を設定しなくてもイイもんなんでしょうか?

例えばの話、「人の心を腐敗させるような芸術」は許されるのでしょうか?
あるいは、「刺激で感性がマヒしてしまうような芸術」はどうなんでしょう?


『いや、そう言うモノは人から選択されずに消えていくから大丈夫なんだよ、キミ!』

・・・・・そうでもないような気がします。

『それでも、人々がそれを選択したならば、それを芸術として受け入れるべきなんだよ、キミ!』

・・・・・それで、みんながツラクなっても?


要するに、『芸術は自由であるべきである』
これは、「理想論」なんじゃないかと思うのです。


もちろん、『芸術は自由であるべきである』と思います。
でも、それは「理想」であって、「実現不可能なこと」でもあるような気がするわけです。

私自身も、『出来るだけ自由であるべき』とは思いますけど、『ナンデモアリなんだ』とは思えませんね。


これは、決して「芸術」を頑なな考え方で縛り付けようと言うモノではありません。
むしろ、逆で、今の状態が『チットモ「自由」には見えない』ということです。


「自由」を追い求めて、いつの間にか「不自由」になっている人、

「裕福な暮らし」を求めて、休む間もなく働く人、

「平和」を求めて、「戦争」をする人、

みんな同じですね。


「理想」を追って、「現実」が抜けているんですね。

もちろん、「芸術」が「理想」を追うのは間違いでは有り得ないと思いますけど、「実現段階」まで含めての「理想」であるべきなんじゃないでしょうか?


少なくとも、一応一通りやってみて、『イマイチだな』っていうときには、戻ったり変えたりしないとダメなんだと思うわけです。
そこにシガミツクことほど、「芸術の中心」から遠いことは無いと思いますね。


そういう「芸術に与えられた無際限の自由」にシガミツイタ結果、生み出された「極端な芸術」というのは、言ってみれば、「カルト芸術」と言うべきものなんじゃないかなと思うわけです。


「宗教の自由」を過剰に保護すれば「カルト宗教」が現れてくるように、「芸術の自由」も行き過ぎれば、「カルト化」するのは当然の成り行きだと思いますね。

そして、「宗教」における「カルト」が、誰のためにもならないのと同じように(一部の「教祖様」だけは別かもしれませんけど)、「芸術」の「カルト化」も、おそらくは誰のためにもならないんだと思います。
(こちらも「一部の方」は別なのかも知れませんけどね)


「カルト宗教」は「宗教」本来の目的を失っています。


つまり、「極端に世俗的なもの」と「無理矢理に神聖なもの」が、「教祖」の都合だけで、使い分けられて、「善」とか「得」とかと言うような「宗教本来の姿」が無く成ってしまうわけですね。

だから、誰のためにもならないんでしょうね。


「芸術」も「カルト化」すれば、それと同じように、「本来の姿」を失ってしまうのでしょう。


そもそも、「芸術」や「宗教」においては、その「本来の目的」自体が、ハッキリ提示されていないようなところもあるわけで、そこのところを、ある程度「規定」しなければ、このような「カルト化」という現象が現れて来るのも避けられないんだと思うわけです。


しかし、その「規定」自体が、何らかの形での「拘束」になってくるわけで、その段階で、もう「無際限の自由」ではなくなってしまうわけなのです。


「無際限の自由」をとるか、「制限付きの自由」をとるかは、意見が分かれるところでしょうが(おそらく現時点で「制限付き」を選ぶ人は少ないでしょうね)、『どちらも試してから決める』というのは、普通に考えても当然のやり方だと思うんですがどうなんでしょうね?


でも、この手の話には、必ず「ヒステリックな反応」をする人が居らっしゃいますね。

『それは、もう、その人が「カルト化」してるから!』

そんな風に思います。



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