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「絵の大きさ」について



「絵の大きさ」っていうのは、どうやって決めるもんなんでしょうね?

何が言いたいかと言うと、ちょっと「絵の大きさ」が大きくなりすぎているんじゃないかと思うわけです。


昔から、大きな絵はあったでしょうが、昔から、今ほど「大きな絵が主流」と言うことでは無かったんじゃないかと思うわけですね。


私の場合は、キャンバスを張る木枠を自分で作っているので、「大きさ」も、「縦・横の比率」も、自分勝手に決められるわけなんですけど、市販の木枠だと、F~号と言うように大きさや縦・横比が決められているわけで、まったく自由と言うわけでもないですし(特注品は別として)、その他にも、出品する展覧会の決まり事など、いろいろと都合や制約があって、「絵の大きさ」や「縦・横比」を、好き勝手に選べるとも限らないわけですけど、そんな中で、「絵の大きさ」や「縦・横比」の選択基準となってくるのは、どんなことなのかなと、考えてみたわけです。


まず、「絵の大きさ」について、よく思うことなんですけど、いわゆる「有名な絵」の「現物」を見たときに、『意外に~』っていうことがよくあると思うんですね。


要するに、『えっ!こんなにチッチャイの!?』とか、『あれっ?この絵がこんなに大きいと思ったことなかったなぁ~』っていうことがけっこうよくあるんですよね。

自分以外の人の話でもそういうことを、よく聞くような気がします。


それで、たいてい「思ったよりも大きかった時」は、文句が出ないんですが、「思ったよりも小さかったとき」には、どことなく不満ということが多いわけですねぇ。

とくに、その展覧会や美術館の目玉になるような絵が、思っていたよりもかなり小さかったというときに、そういう傾向が出るような気がします。


なんというか、ややセコイ話ではありますが、美術館の入場料に見合うだけのボリュームのモノを見せてほしいというような、いわゆる「コスト・パフォーマンス」的な、計算が無意識のうちに働いてしまうんじゃないでしょうか?


「絵の真価」が「絵の大きさ」と関係ないモノだと、頭ではわかっていても、やっぱり、『大きいことはいいことだ!』的な「満足感」も、どこかに作用してくるんだと思います。

まぁ、料理で言えば、『おいしくても、やっぱり、お腹いっぱいに成らないと!』ってとこですかね?

ほとんどの人が「芸術」と「お腹いっぱいに成ること」とは、関係ないと思っているんじゃないかと思うんですけどね。


ところがですね。

自分で「絵」を描く時はと言うと、「大きさ」を強く意識することはあまり無いですね。

「大きい絵」には「大きい絵なりの苦労」があるでしょうし、「小さい絵」にも「小さい絵なりの苦労」があるんでしょうが、そういう、「どっちがムズカシイか?」とか「どっちがタイヘンか?」ってことじゃなくて、描いている時に「大きい絵だから」とか「小さい絵だから」とかいうことで、「その絵の方向性」を決めようとは、私の場合はほとんど思いません。


少なくとも、自分のことに限って言うと、「絵の中の世界観」に「大きさ」という感覚はもちこんでいない場合が多いと思いますし(「絵の中の大きさ」と「現実世界の大きさ」は別物だと思います)、『小さい絵だからこのぐらいでいいかな?』と言うのも極力避けたいと思っています。

とくに「抽象的な性質の濃い絵」に、「大きさ」という感覚が必要だとは思えないんですね。
これは、実際の画面の大きさについても言えることですし、また、絵の中の世界感についても、概ね同じことが言えると思います。


例えば、「大きい絵」と「小さい絵」を並べて見たときに、明らかに「小さい絵」が見劣りするようでは
『これは、いかん!』と思うわけです。

また、『まぁ、大きい分だけインパクトがあるかな?』っていうのなんかも、『ダメでしょ?』と思ってしまうわけですね。


やっぱり、「小さい絵」でも「大きい絵」に負けないような「画面の圧力」が欲しいと思いますし、「大きい絵」でも「大きさ」に頼らないような「強さ」、つまり、その絵を「小さくしたとしても変わらない力強さ」が欲しいと思ってしまうわけですね。


もちろん、壁画や大きな画面をいくつも並べた絵のように極端に大きなものは、長辺が2~3メートルくらいまでのサイズの絵とは、ややコンセプトが違うものだと思いますから、ここでの話は、一般的に言うところの「タブロー」ということですけどね。

 ※絵肌の表情が判別できる距離から見たときに(絵の性質にもよるでしょうが、
  3~5メートル以内というところでしょうね)、一つの視点で全体が見通せない
  サイズの絵は「タブロー」とは言えないような気がします。
      
  「タブロー」という言葉は、「独立した一枚の絵」ということだと思いますが、一
  つの視点で全体が見通せないということは「独立した一枚の絵とは言えない」
  というのに近いような気がするわけですね。

いずれにしろ、「絵の価値」と「絵の大きさ」が関係ないんだとすると、何で「大きさ」を決めるのか?ということに成るわけですが、私は、「抽象画」の場合、『絵の性質やテーマによって大きさを決める必要はほとんどない』と思っていますので、「最も見やすい大きさ」で決めていると思います。


それから、私の場合「額」を作ることを前提としていて(まだ、できてませんけど)、その「額」の長辺が、「絵」の長辺の2~2.5倍ほどに成る予定なので、それを考えると、あまり「絵」を大きくできないんですね。


「大きさ」にこだわらないのに、なんで木枠を自作するのか?と言えば、「縦・横の比率」です。

私の場合は、今のところ、「縦・横比」が「16:17」と「7:11」と言う二種類にしています。
既成の木枠は「縦・横比」が限定されてしまうので、自作しているわけですね。



まぁ、ひとのことはわかりませんから、他の人がどんなふうにして「絵の大きさ」を決めているのかは、知る由も有りませんけど、少なくとも、現在の『小さいよりは大きい方がエライ!』みたいな考え方にはかなり抵抗がありますね。


『大きい絵を、絵として見せられる人が力量があるんだ』と言うのも、チガウと思いますね。
少なくとも、「いい絵」=「大きい絵」ではないことは誰でもわかっているはずですし、同じ作家の絵の中で「最大の絵が一番優れた絵である」と思っている人なんていないはずなのに、なぜか、こういう考え方がまかり通っているというのは不自然としか言いようがないですね。


実際は、「力量の差」と言うよりは、ただ単に、描きなれた大きさが描き易く感じるという程度のことだと思いますね。

初心者は、「小さい絵」から始めますから、どうしても、いきなり大きい画面を与えられると戸惑ってしまうだけだと思います。
慣れてしまえば、「大きさ」はあまり関係ないと思いますね。

 ※実際に「絵の大きさ」にハッキリした影響があるのは、絵肌の「テクスチャー」など
  「画面が持っている物質的な性質」の部分だと思います。
  そういうモノを総称して「マチエール」と言っているんだと思います。
  「大きい画面」と「小さい画面」で、「まったく同じマチエールの画面」を作った場合、
  明らかに「小さい画面」で「マチエール」の影響が強く出るでしょうし、「大きい画面」
  では、影響が小さくなるでしょう。
  また、画面の大きさによって、「同じテクスチャー」の持つ「画面の中での意味」が
  違ってくるということも出て来ると思います。

  もちろん、そうした「マチエール作り」も、「絵画技法」の一つであるとは思います。
  しかし、一般的に言われるところの「大きい絵を描くための力量」と言うのは、そうい
  うことを考えて言われていることだとは思えません。
  ほとんどの場合、「画面の構成力」のことを言っているんだと思いますが、「構成」に
  関しては、「大きさ」とは無関係だし、また、そうあるべきだと思います。
  それは、ただ単に、細かい構図で描くのには、小さい画面だと描きにくいという程度
  のことだと思います。


要するに「小さい絵」だと『このぐらい描けていればいいんじゃないか?』もう少し意地悪に言えば、『このぐらい描けていれば、他人から褒められるんじゃないか?』と自分が思いやすいというだけのことじゃないでしょうか?


「大きい絵」としては、「それなりに迫力がある絵」でも、縮小したら、急に弱々しく成ってしまうようならば、『ダメでしょ!』と思いますし、「小さい絵」で、「それなりにまとまっている絵」でも、拡大したら、薄まってしまうようならば、『やっぱり、ダメでしょ!』と思います。


まぁ、いずれにしても、「絵の大きさ」については、もう少し、真剣に(というか真面目にと言うべきでしょうね!)、考えられるようになっていった方がいいんじゃないかなと言う気がします。

これは「縦・横比」についても同じですね。


「自分のサイズ」や「自分の縦・横比」というのを持っていることは、むしろ普通のことなんじゃないでしょうか?


「絵の中での大きさ」と「物質的な大きさ」は違うモノだと思いますが、だからこそ、「大きいこと」にも「小さいこと」にも「根拠」が必要に成るような気がします。


「作者の中の根拠」がなく、その場の都合だけで、「無理に大きくされたり小さくされたりした大きさの絵」というのは、どこか「漠然とした作品」になってしまうような気がします。


『こういうのって、けっこう大事なことなんじゃないの?』

そんな風に思いますね。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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