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現在考えられる「神と芸術の関係」



「芸術」と「宗教」は、昔から深い関係があったんだと思います。
「哲学」もそういう分野だといっていいでしょう。

それらは、いずれも「真理を追究する」ということで近い位置にあるんだと思うわけです。


だから、「神」が「究極の真理」であると信じられていた時代においては、「神の世界」を表現することこそが「芸術」でもあったんだと思います。

 ※これは世界中のいろいろな地域で同じようなことが言えると思います。
  「神」が「仏」に成ったりするというだけですね。


過去のことはさて置き、現在の「神と芸術の関係」とはいったいどんなものなんでしょうね?


これは、「信仰」をお持ちの方には到底納得のいかないことなんでしょうが、私は「神の時代」は、もうトックに終わってしまっていると思っているわけです。

ですから、現在考えられる「芸術」の目指すところは、「神の世界を現すこと」ではないように思うわけです。


そこで、『じゃあ「ナニ」を目指すんだ?』ということになるわけですね。


まず、「神の時代」がどのようないきさつで終わっていると思うのか?ということです。

「宗教の歴史」をはじめからたどるのは難しいでしょうけど、「絶対的なモノに対する信仰」という、「現在の宗教」の形式」ができてからのことで言うと、そういう【「絶対的なモノ」を想定する以前の「信仰」】から、

 ※こういったものを「原始宗教」というような言い方をしますが、私は「宗教」よりも
  前に「信仰」があったのだと思っています。
  「自然」や「世界」に対する「畏怖心」のようなものは、原始の時代の人間の中に
  もあったでしょうし、動物の中にもあるのだと思っています。
  こういった「オソレ・オノノキ」を、「信仰心」と言うことは出来るでしょうが「宗教」と
  いうのには、やや違和感を感じますね。

【「絶対的なモノ」を想定した現在形の「宗教」】が生みだされたことで、「宗教」が「文化的な側面」を併せ持つようになったように思うわけです。

そして、そのことによって「宗教」は飛躍的に発展したともいえるでしょうし、「人間社会」にとって、不可欠の要素に成ったともいえるでしょう。

また、その結果、「宗教」が、「真理」を追究する分野に成ったとも言えるんじゃないかと思うわけです。
つまり、「絶対者」と言う「究極の真理」ですね。


ここから、「宗教」と「哲学」や「芸術」が結びついていくことに成ったんだと思うわけです。


そして、「現在の宗教」はと言うと、その「絶対者」を「普遍化」する傾向があるように思うわけです。

たとえば、昔ならば、「神」も「教理」も違う「異教」同士が認め合うということはあり得なかったんでしょうが、現在は、どちらかと言えば、『そういうのは、ノー・プロブレムなんですよ!』という考え方の方が主流と言っていいでしょう。

つまり、「あちらの神」も「こちらの神」も「おなじ神」ということで、「普遍的な神」を想定するようになったということなんでしょうね。たぶん。


本来は「神」自体がもともと普遍的なわけですから、当然と言えば当然でもあるんでしょうね。
でも、じゃあ、なんで「教義」や「神の名」が違うのか?と言う矛盾もあるわけですが、まぁ、その辺には目をつぶって「普遍的な神」ということを重視していこうということなんでしょう。

それで、争い事が減っているのは確かなことだと思います。


でも、そうなると、「芸術」は「どの神の世界」を表現すればいいんでしょうか?
もちろん、「確固たる信仰」を持っている芸術家はいいでしょうが、そういう「宗教」を持たない芸術家や、それこそ「より普遍的な神」を追究したいという芸術家はどうすればいいのか?


この辺のことから、「芸術の20世紀」において、「芸術」は「混迷」に巻き込まれていくことに成ったんだと思うわけです。

これは、必ずしも「芸術」を「宗教」と結びつけて考えるときに限らず、「宗教」が追求すべき「神の姿」を見失っていったのと同じように、「芸術」も追及するべき「真実の形」を見失って行ったということなんだと思います。


つまり、どちらにおいても、「絶対的なモノ」を想定することが出来なくなってしまったということでしょう。

それで、「神の時代」が終わって行ったんだと、まぁ、私は思っているわけですね。


現在の「宗教」においては、『「神」とは「すべて」である』と規定する傾向があるように思います。

そういうことをわりとはっきりと言っているのは「スピリチュアル」の人たちでしょうが、「スピリチュアル」に限らず、多くの「宗教」でこういう考え方が普及しているんじゃないでしょうか?


つまり、「神の絶対性」を追究していくと、「すべて」に行き着くんだと思います。


それは、おそらく「すべて」が「唯一の世界を分割しない言葉」だからだと思うのです。

「言葉」と言うのは、基本的に「世界を二分する性質」があります。
たとえば、「神」と言えば「神」と「神じゃないもの」に「世界が二分される」ということですね。

でも、「すべて」だけは「すべてじゃないもの」を想定することが出来ないので、「絶対性」が崩れにくいわけです。

もしも、「すべてじゃないもの」があったとしても(無いでしょうけど)、それは見つけられた瞬間に「すべて」の中に取り込まれてしまいますから、けっきょくは、それも「すべて」に含まれているということに成ってしまうわけですね。


さて、そこで、「芸術」ですが、「芸術」もやはり、「すべて」を現す方向に向かったのだと思います。

つまり、それが、「抽象表現」ということなんだと思うわけですね。


「具象表現」は「限られたモノ」を現すのには適していますが、「いろいろなモノ」を含んだ「世界」や「モノ」の「根本原理のようなもの」を現すことに向いているとは言えないというわけですね。

「すべて」とまでは言わないまでも、「いろいろなモノ」を現すのには、やはり「抽象表現」が必要に成るんだと思います。


と言うあたりが「20世紀~現在」までの芸術と宗教の在り方なんじゃないかと思うわけですけど、実際には、「芸術」はこの辺のところでかなり長い間停滞していると思いますね。
というか、「芸術の20世紀」半ばあたりからは、「やや後退気味」なんじゃないかなと。
そんな気もするんですがどうなんでしょうね?


さて、そこから先の話なんですけど、長くなってしまったので、

次の記事につなげます。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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