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「スピリチュアル」が「一人カルト宗教」に成ってしまうという危険性



この10年~20年ほどの間に、「スピリチュアル」とか「スピリチュアリズム」という言葉を耳にする機会が、ずいぶん増えたように思うわけですが、まぁ、「ブーム」っていうことなんでしょうね。たぶん。


「ブーム」なんて言うと、怒る方も居らっしゃるでしょうが、「スピリチュアル」をやっている人が、みんな「極める」っていうような方向でやってるわけでもないんでしょうから、現在の、「スピリチュアル信者急増」は、やっぱり、一つの「流行現象」という面もあるんだと思うわけです。
 (それが、悪いことだとは思いませんけどね)

 ※これは、私の勝手な考えですから、『イヤだな!』っていう風に思う方が
  いらっしゃれば、先に謝っておきます。『ごめんなさい!』
  それから、「宗教」や「スピリチュアル」に対して、やや否定的な意見には
  なると思いますが、それらを否定しようと言う意図で書いているわけでは
  ありませんので、アシカラズ。

まず、この「スピリチュアル・ブーム」はどこから来たのか?ということなんですけど、私の勝手な考えでは、これは、日本が「カルト宗教天国」のようになっていた時期があったことに端を発しているように思えるんですねぇ。


大学などには必ず「宗教系のサークル」がたくさんあったり、駅前の広場では、ちょっと怪しげな「勧誘活動」をしている人たちが居たりということが、ごく普通のことだったころのことですね。


あの人たちって、どこ行っちゃったんですか?っていうことですよね。


私は、その人たち自身や、そういう人に成るはずだった今の世代の人たちが、いま、「スピリチュアル信者」に成ってるんじゃないかと思うわけなのです。

必ずしも、「カルト信者」=「スピリチュアル信者」ということではなくて、「カルト天国」の時期には、「やめとこう」と思って手を出さなかった人まで含めて、「スピリチュアル」なら「安心だからやってみよう」に成っているんだと思うんですね。

そういう「安全な感じ」があったから、「ブーム」に成ったんでしょうね。
しかも、それがけっこう長く続いているということなんでしょう。


そして、その「カルト天国時代」を、さらにさかのぼって考えていくと、どうやら、「超能力ブーム」と言うものに突き当たるんじゃないかと思うわけです。

私自身も子供の頃、あの「ユリ・ゲラー・ブーム」をリアル・タイムで体験していますし、実際、興味津々で見ていたクチなんだと思います。


日本中で、『うちの子がスプーンを曲げたんだ!』とか、『壊れていた時計が突然動き出したんだよ!!』と言うことが起きていたわけですけど、その人たちは、どこへ行っちゃったんでしょうね?


つまり、そういう人たちこそが、「スピリチュアル・ブーム」の素に成っているんだと思うわけです。


私のように、
『なんだ、ゼンゼン曲がんないじゃん!』
『いや、待てよ!すごーぐチョットだけど曲がってるんじゃないか!?』
と思ってた人も含めて、あの時代以降の世代の人というのは、完全に「不思議のトリコ」になってしまったんだと思うんですね。


ちょうど、「科学万能の時代」にあって、「科学」とは対極にある「不思議なモノ」が子供たちに限らず、「興味」の対象に成ったのは当然の成り行きだったような気もします。


その後、「科学万能の時代」にも、「高度経済成長」にも、やや陰りが出てきて、その最終局面を意味する「バブル」の時期に至って現れてきたのが、「カルト宗教の乱立」という現象だったように思いますね。


つまり、「超能力ブーム」によって「不思議のタネ」を巻かれていた人たちの中で、「バブル」と言う「コヤシ」を与えられて、そのタネが「カルト」という形で芽を出したわけですね。


そして、その後、その「カルトに懲りた人たち」や、「カルトを遠巻きにしていた人たち」が、安全な「スピリチュアル」にイッキに流れ込んでいったんだと思います。


私自身は、いつも「スプーンが曲がらなかった人」だったので、そちらに接近したことは無かったんですけど、それですら、「不思議の魅力」にはそれなりに興味を持っていたと思いますし、何かしらの影響は受けていたと思いますね。


私の場合は、いつしか、「神」とは、一人一人の人が「自分の中に創り出すもの」だと思うように成ったので、
 
 ※もう少し言い足すなら、『「神」とは「自分の中に創り出すもの」であり、それが不可
  能であることがわかった後も追い続けるという行為の中にある「人間が本質的に持
  っている純粋性」に対して、人間が「名前」をつけて「姿」を与えたものである』という
  ことに成ります。
  それが人間にとっての最大限度の「神性」なんだと思いますね。

「与えられた神性」や「そこに在る神性」を信仰するということはありませんでしたけど、まぁ、「スピリチュアル」は「カルト宗教」なんかとは違って「安全」なんだし、どちらかと言えば『そういう考え方って、いいんじゃない?』とも思ってました。

でも、ここにきて、『待てよ、本当に安全なのか!?』と思うようになってきたんですねぇ。


一言でいうと、『「スピリチュアル」って、実は「一人カルト宗教」なんじゃないのか?』っていうことなんですねぇ。


「スピリチュアル」はハッキリした教義や経典を持たないことが多いようですし、考え方自体が過激とは言えないですし、具体的な「洗脳」もないわけですから、「カルト化しそうな要素」がほとんどないように見えるんですけど、それなのに、このところ、急激に「スピリチュアル」の人たちが言う言葉のハシハシに「カルトの片鱗」があるように感じることが増えてきたんですねぇ。


まず、「覚醒」と言う言葉です。
これをよく耳にするんですね。

私は、「人間」が、『人間にすら届いていない』と思ってますから、この「覚醒」という言葉を聞くと、『それは、とうてい人間の範囲外でしょ!』と思ってしまうわけです。

だから、『ある時、突然、覚醒しました!』みたいなことを耳にすると、どうしても、「カルト的な無理」を感じてしまうわけなのです。


それから、「瞑想」や「浄化」という言葉も、どうしても「カルト」とイメージがダブってしまいますね。

最近になって、とくに思うようになったんですが、「瞑想法」や「自己浄化法」のような、ある種のトレーニングには、脳内に「特定の物質や状態」を発生させる効果があるんだと思うんですけど、それが、「自己洗脳」的な状態を創り出してしまうんじゃないかと思えるんですね。

そして、この「自己洗脳」が非常に危険なんじゃないかとも思っているわけです。


あとは、「不食」という言葉ですね。
これが「スピリチュアル」と結び付けられているというようなことを聞いたときに、『「スピリチュアル」はカルト化してるんじゃないか?』という「疑い」が、私の中で決定的になったような気がします。

と言っても、『食べなくたって生きていけるんですよ!』っていう話について、『そんなの、どうせウソだろ!?』ということが言いたいわけではないんです。


むしろ、単純に言って『食べたほうがいいんじゃないですか?』っていうことなんですよね。


たとえば、「オウム真理教の教祖」が「空中を浮遊すること」が、、『本当に出来るのか?』っていうことじゃなくて、『そんなこと、べつに出来なくていいでしょ?』ってことですよね。

そういうことが出来るといわれても、『飛行機が墜落する瞬間にジャンプすれば助かるんだぜ!』と言われたのと、ほとんど変わりがないようにしか、私には思えないんですね。


それと同じように、『食べなくても生きていけるんだ!』と言われても、私は、「食べること」を、人間が生きている中で「最もスバラシイこと」の一つだと思っているので、「そのスバラシイこと」をしないことの方を、「スバラシイこと」のように言われると、どうしても「カルト化」を感じてしまうわけなのです。


いずれにしても、「スピリチュアル」において、このような形で「自己洗脳」状態が創り出されてしまう危険性は間違いなくあると思います。
しかも、けっこう高い確率かも知れません。

意外なんですけどね。

「完全に安全」だと思っていますから、みんな「完全に油断」してるんですね。
それで、人によっては、スッポリとはまり込んでしまうんじゃないかと思います。

それに、「人からの洗脳」ではなく「自分による洗脳」ですから、非常にハマリやすいと思いますし,非常にヌケにくいような気がします。


もちろん、「教祖さま」はいらっしゃいませんから、そちらに貢がされるという「経済的なダメージ」だけは避けることが出来ますけど、「精神的なダメージ」はほとんど同じなんじゃないかと思います。

いま、「スピリチュアル」を信じている方や、そちらに少なからず傾倒している方は、つねに、「反対側の視点」を持っていたほうがいいような気がしますね。


そういう「反対側の視点」が「悪魔のささやき」のように感じたら、「やや危険」かなと。

失礼ながら、そんな風に思ってしまうわけなのです。


最後にもう一度、念のため、『ご気分を害された方が居らっしゃいましたら、ごめんなさい!』





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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