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「心の省資源化」:「精神的エコロジー」こそ大事なのでは?



「省資源化」とか「エコロジー」と言うと、「物質的な資源」の「無駄」を減らそうということだと思うんですけど、実際に、今一番「無駄」にされているのは「人間の精神」ではないかと思うわけです。


そして、「精神」こそ、最も「無駄にしてはいけないモノ」なんじゃないかと思いますし、「精神を無駄遣いすること」は「物質的な資源」を「無駄にすること」以上に、人間にとってもマイナスなんじゃないかなとも思うわけなのです。


「地球上の資源」が限られていることは確かなことですし、それが現在のペースでいけば、近い将来尽きてしまうこともはっきりしているわけですから、それを『大切にしましょう!』ということに問題はないんでしょうが、「心の省資源化」は、それを遥かにしのぐほど大事なんじゃないかと思いますね。

それに、「人間の心」が無駄遣いさていると、結果的には「その人間」が必ず「物質的資源の無駄遣い」をするようになるという気もします。

そして、「人間の精神」も、やっぱり、あんまり「無駄」にしていると尽きてしまうんじゃないのかなと。
そんな風に思ってしまうわけですね。


なんとなく、今の風潮として「物質優先」と言うか、もっと端的に言ってしまえば、「おカネ優先」という空気があることは間違いないことだと思います。


たとえば、『「仕事」とは「おカネ」のために「イヤなこと」をすることだ』と思っている人と、『「仕事」とは「ヤリタイこと」をして「おカネ」を貰える場合もある、そういうものだ』と思っている人、どっちが主流か?と言えば、まぁ、間違いなく前者なんでしょう。

つまり、それだけ「おカネ」が優先されているということでしょうし、「おカネ」のために「心」を犠牲にすることは当然のことだと思われているということでしょう。


これは、実際には「仕事が好きな人」でも、ほぼ同じことが言えていて、いくら「仕事が好きな人」でも「おカネ」を貰わなくても「その仕事」を『もちろん、やりますよ!』という人はかなり少ないでしょうから、やっぱり、「おカネ、込み」での「好き」なんでしょうね。


さらに言えば、こういうことには十分気が付いていて、尚且つ、そういう状態は良くないと思っている人でも、必ずしも、そういう人が「心の省資源化」を目指しているとは言えないような気がします。

要するに、「心」は「モノ」ではないので、『如何に無駄にされているか?』や『如何にすれば無駄をなくせるのか?』ということが、見えにくいということなんだと思います。

でも、そう考えれば「人間の心」が、かなり無駄にされてしまっているのも当然ですね。
まぁ、目に見える形がありませんから、見過ごされていることが多いように思います。


また、「人間の道徳感」の中に、そういう「心の無駄遣い」を「忍耐」とか「辛抱」などとダブらせてしまう性質があるために、「心を有効に活用しているケース」と「単なる心の無駄遣い」の違いが、一層見えにくくなっているということもあると思いますね。


現代社会で、最も「心の無駄遣い」の原因になっているのは「競争社会」でしょうね。


「競争心」はもともとそんなに悪いモノでもなかったんでしょうし、むしろ、「人間の本質」に近いものだと思いますけど、現在の「競争社会」においては、子供のころから「教育」やマスコミの「情報」を通じて、「競争」と言う「キーワード」が徹底的に刷り込まれてしまいますから、それはもう「催眠術」のようなもので、その「キーワード」が提示されると「パブロフの犬」のように、「条件反射的」に「意味のない競争」へ向かわされてしまうようになっているわけです。

「意味のある競争」は「人間の本質」に近いものなんでしょうが、「意味のない競争」は「心の無駄遣い」にしかなりません。

そして、現代社会は、この「意味のない競争」であふれています。


なぜなら、「意味のない競争」は誰でも簡単にできますが、「意味のある競争」は「労力」を必要としますから、努力しなければならないわけです。
だから、より安易な「意味のない競争」であふれかえっているんだと思います。


今の時代においては、「意味のある競争」ですら、「絶対に必要なモノ」ということでもなくなってきているような気がしますが、まして、「意味のない競争」なんて、無い方がイイに決まています。

しかも、「意味のない競争」だとわかっていても、あまりに「意味のない競争」が多く、主流を占めてしまっているために、「その競争」から離れることは、「ドロップアウト」することを意味するようになっているわけで、それで、なかなか離れられないような構造になっているわけです。


だから、ドンドン「人間の精神」が「無駄遣い」されてしまうわけです。


また、これも「競争社会」と似たようなものですが、「効率主義」も「人間の精神」を「無駄遣い」する原因になっていると思いますね。


現代社会においては、常に「効率を上げること」が目標とされていますから、その為に「人間の精神」が「無駄遣い」されることになってしまいます。

これも「効率化」が悪いわけではなく、現代社会においては「効率化」は、機械や社会機構などの「システム」によって、行われるものに成っていて、それは「個々の人間」の役目ではなくなっているわけです。

それなのに、社会が「人間」にも「効率化」を求めるような仕組みになってしまっているために、そこでも「人間の精神」が「無駄遣い」されてしまうわけです。


たとえば、昔なら、人が手で作っていたものを、今は機械で作っていますから、誰が作っても、手作業の数十倍~数百倍の効率で作ったり出来てしまうわけです。

そこでの「人間の効率化」なんて「鼻くそ」みたいなもんです。
それなのに、その「鼻くそ」のために「人間の精神」が「無駄遣い」されています。


本来ならば、「今、人間がやること」は、「効率」とは正反対のことなんじゃないかと思うわけです。


「人間」は、やりたいことを好き勝手にやらせると、かなりのことをやったりするもんだと思うわけですね。
そこで、「効率」が悪くなるなんてことは気にしなくていいような気がします。
もともと、「人間」っていうのはそうやって発展してきた生き物なんだと思うわけです。

それなのに、自分たちが作り出した、「機械」や「社会」に支配されて、一番肝心な「人間の心」を「無駄遣い」しているなんて、どう考えても納得いかないですねぇ。


こんなペースで「心の無駄遣い」をしていたら、「地球資源」よりも先に「人間の精神的資源」の方がスッカラカンに成っちゃうかもよ!

『いや、なんか、もう、そう成って来てるような気もする?』

と、言う風に思います。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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