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「絵の中の枠」と「絵の外の枠」



さて、前の記事の続きに成ります。


「額」には「新たな額の意味」が与えられる必要が出てきているんじゃないかと言うことです。


そのためには、「絵の中の枠」と「絵の外の枠」という考えが有効だと思っています。

つまり、「絵の中の世界」と「絵の外の世界」それぞれに「枠」を設定して、その二つを絡ませることで、「外の世界」と「中の世界」をつなぎ合わせようというわけです。


なんでそんなことをするのかと言えば、「多重化」することが必要だと思っているからです。


「芸術」に限らずどんな分野でも言えることだと思いますけど、一つの「切り口」だけで表現しようとすると、ある程度のところで限界が来てしまうと思います。

そこで、「新たな切り口」を模索することに成るわけですが、現在の「芸術」においては、その「新たな切り口」が、「芸術」という領域から外れてきているという傾向があると思うわけです。

つまり、もはや「芸術」を逸脱したものの中にしか「新しい切り口」が見つけ出せなくなってきているということだと思うのです。


そこで、「芸術」と「芸術じゃないモノ」を「ツナグ」と言う作業が必要なんじゃないのかなと。
そして、そういう作業をこれまで、ナントナク手つかずにしてきたんじゃないのかなと思うわけです。


でも、手つかずにした結果「芸術」から逸脱してきているということならば、逸脱して「そっち側」に行ってしまうよりは、その前に「そっち側のモノ」を取り込んで、「こっち側」に引き込んでしまえばいいんじゃないかと思うわけです。


こういうことは「芸術」以外の分野では、割と普通に行われていることのような気もするんですが、「芸術」においてだけは手つかずのままに成っていたように思います。

おそらく、そういう「ツナグ作業」が行われる前に、「逸脱」へ向かってしまって、その方向付けがずっと変えられなくなってしまったということじゃないでしょうか?
(そういう「逸脱」が許された唯一の分野が「芸術」だったということでしょう)


その手つかずにされてきた「ツナグ作業」に当たるのが「多重化」することだと思うわけです。


つまり、「芸術じゃないモノ」の方に「新しい切り口」を見つけ出して、そちらにジャンプしてしまうのではなくて、あくまで、「芸術の中」で「多重化」するということですね。

「芸術」の側に「芸術じゃないモノ」の方を引き入れるわけです。


その為に「ツナグ」と言う作業が必要に成ると思っているわけです。
その作業を「額」でやろうということですね。


現在、私が考えている「多重化」は、「絵の中の枠」と「絵の外の枠」という「二重の枠」が基本に成っています。


「絵の中の枠」と言うのは、「絵の中」に「枠」の性質を持った部分を描き込むということです。

過去においても、いろいろな画家がいろいろな形で、「絵の中」に「枠」の性質を持った部分を構成した例がありますが、私の知る限りでは、「多重化」と言えるような例はないように思います。

 ※完全に写実的に「額」を描き込むという、いわゆる「トロンプルイユ(だまし絵)」
  の手法では「レンブラント」の「額の中の少女」という絵は完成度が高いと思いま
  すが、これは、「外の世界」を取り込んだとは言えないような気がしています。
  その絵で、取り込まれたのは「額」までですね。

  他では、「クリムト」による「装飾的な部分」などがありますが、「多重化」とは、少
  し方向性が違うような気がします。
  「クリムト」の装飾的な部分は、完成度は高いと思いますが、境界線が曖昧なた
  めに「枠」と言うよりも「背景」に近いと思います。

  あとは、「芸術の20世紀」において、「アンフォルメル」の画家たちの中で、「枠」
  に近い感覚を使っているものがあると思いますが、これも「多重化」という意味で
  は完成形に達していないように思います。
       

自分でやってみてよくわかりましたが、大変です。
まぁ、労力や時間の問題もあるんですが、それ以上に、問題なのは、かなりの割合で、「絵」が犠牲に成ることです。

つまり、「絵」と「枠」を相互に作用させ合うということは、「枠」によって、ある程度「絵」が喰われてしまうことに成るわけです。
だから、かなり「強い絵」を描く必要があるということに成ります。
(それでも、喰われますけどね)


この『絵を喰ってしまう』というところで、過去の画家たちは「絵」を切り捨てられなかったんだと思います。
私の場合、『これしかない!』と思って、『断腸の思いで、絵を切り捨てる』と言う作業をやっているつもりです。

あとは、今の時代に成って、初めて「枠」という発想が使えるようになってきたということもあると思います。
つまり、いろいろな「芸術に関する固定観念」が破壊された現在であるからこそ出来るようになったことが、いろいろあると思うわけですが、これも、その中の一つだと思うわけですね。


さて、ちょっと話が逸れてしまいましたが、「絵の中の枠」と言うのは「絵の中に構成された縁取り効果」と言うことに成ります。


私の場合は、現時点で、以下のことを意識して考えています。

1.はっきりとした境界線であることを示す。
2.「枠」にも「絵」としての性質を与える。
3.「絵」と「枠」が相互に関連し合っていることを表現する。
4.四辺のうち二辺を閉鎖し、二辺を解放する。
  (二辺だけで「枠」であることを表現する)
5.「絵の中の枠」は、出来るだけ明快な形と色で描く。


次は、「絵の外の枠」の方です。

これが、いわゆる「額」に成ります。

チョット、長く成ったので、次の記事に続けます。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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