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「タブロー」であるということ



最近の「芸術の展示」を見ていると、『こっちの芸術と、そっちの芸術は、本当に同じ芸術なんだろうか?』と思うことがあるわけです。


要するに、違うタイプの芸術を同じモノとして見せられる機会が多いので、それに違和感を感じるわけですね。
同じ芸術でも、ジャンルがまったく違うモノのように見えるということなんだと思います。


いろいろなバリエーションが楽しめる事はいいことだと思います。
ただ、それは違うジャンルであることを前提とした場合の話で、明らかに違うジャンルのモノを無理矢理同じジャンルに押し込めてしまうことには意味を感じないですね。


ハッキリとした方向性を持った展示は、やはり見やすいと思いますし、違う方向性の作品を一つの展示として見せるには、そこに何らかの主張が無ければ意味がないと思うわけです。


どうも、現在の「芸術の場」における風潮として、『「抽象」も「具象」も両方同じように楽しめないといけない』とか、『「作品」と「パフォーマンス・アート」を違うものとして区別してはいけない』とか、『「タブロー」と「イラストレーション」を同列に扱わなければいけない』とかと言うような、そういう空気があるように思うわけです。

そして、そういう時に、『いや、それはジャンルが違うでしょ』なんて言うと、たちまち「頭の固いヤツ」というレッテルを張られてしまうわけなのです。


しかし、敢えて言ってしまいますけど、『チガウものはチガウとしか言いようがない!』わけです。
それ以前に、『いったいドッチが頭固いのか?』と思いますね。

それぐらい、現在の「芸術の場」には『意味のない、~しなければいけない』が多すぎますね。

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という話の中の「タブロー」と言うジャンルについてです。


この「タブロー」という言葉は、あまり一般的に使われない言葉だと思いますが、要するに「絵として独立した絵」と言うような意味だと思います。


そういう、いわゆる「タブロー」と「イラスト」や「マンガ」みたいなものを、同列に並べて見せられたときの、居心地の悪さには慣れることが出来ないですね。

まぁ、『腹が立つ』と言うほどではないですけど、不自然な感は否めないということです。
これは、どちらのジャンルにとっても不幸なことなんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか?


そこで、その居心地の悪さはどこから来るんだろうか?と考えてみるわけです。


そもそも、何をもって「タブロー」と言っているんでしょうか?

例えばの話、「イラスト」でも額に入れて独立させれば「タブロー」なのか?
それとも、「タブロー」には、そういう「物理的な独立」以外にも「チガウ意味の独立」が必要なのか?
あるいは、「作者」が「タブロー」だと言えば「タブロー」だというようなことなのか?


私は、「タブロー」の条件は「背景を持たずに存在していること」だと考えています。
「背景」と言っても、「絵の中の背景部分」と言うことではなくて、「その絵の意味」を成り立たせている根拠と言うようなものです。
そういう「その絵の意味や根拠が、その絵自体の中にある絵」を「タブロー」と言うんじゃないかと思うわけです。
逆に言うと、「その絵の意味や根拠が、その絵の外にある絵」は「タブロー」とは言えないと思うということですね。

つまり、一見独立して「存在」しているように見えても、その「存在」が何らかの「背景」によって支えられた「存在」である場合は「タブロー」とは言えないということです。


たとえば、「キリスト教絵画」でも、「宗教的な意味」を抜きに考えた場合にも「意味」を持ち得るものは「タブロー」であると言えるでしょうが、「キリスト教」と言う「背景」がないと「意味」を失ってしまうようなモノ、つまり、「宗教」の宣伝や布教活動のためにだけ描かれた絵は、「宗教画」ではあっても「芸術表現として独立した絵」ではないということに成るわけです。


「マンガ」にしても、基本的に「ストーリー」を「背景」にして「存在」するものですから、いくら、その中の「一枚の絵」を抜き出して額に入れたとしても、やはり、「タブロー」と言うのは難しいと思います。

もちろん、「キリスト教絵画」と同じで、「ストーリー」などの「背景」が無くても「存在」し得るだけの「意味」を「一枚の絵」の中に作り上げることが出来ていれば「タブロー」と呼べるわけですが、けっこう大変だと思います。


これは、「イラスト」にも同じことが言えると思いますが、「タブロー」として成り立たせようとすると、本来の「マンガ」や「イラスト」からは離れていってしまうわけで、「マンガ」や「イラスト」としての性質を失わずに「タブロー」でもあるというモノを創り出すのは、かなりの至難のワザだと思います。
(その点では、「宗教画」よりも難しいような気がしますね)

やはり、もともと「マンガ」は「ストーリー」を「背景」に作られたジャンルですし、「イラスト」は「ナニカを説明するための絵」として確立されたジャンルですから、「ストーリー」や「説明するためのナニカ」という「背景」を必要とするわけで、また、そういう条件に適した性質を持っているわけです。

まぁ、一言で言えば「説明的な絵」であるということですね。
それは、良く言えば「わかりやすい」と言うことですし、悪く言えば「単純」と言うことでしょう。

つまり、「背景」を含めた場合「わかりやすい絵」に成るわけですが、「背景」を抜きに見た場合には「単純な絵」と言うことに成ってしまう可能性が高くなってしまうわけです。
だから、ここで言う「タブロー」の条件満たすのには、向いていないスタイルということに成るわけです。

それで、それらの絵と「タブロー」とを同列に並べて見せられると、居心地が悪くなるわけですね。
あくまで、『私は』ということですけどね。


要するに、「タブロー」を見る時と、「他の絵」を見る時で、いちいちスイッチを切り替えないとならなくなるわけですね。

『そんなにカタイこと考えないで、気楽に見れば?』という考え方の人も居らっしゃるんでしょうが、『その作品をキッチリと見極めたい』と思う人も居て当然だと思うわけです。

というよりも、「その作品」を「芸術」として捉えるのであれば、鑑賞者がそういう見方をすることで「芸術としての意味」が完成するんだと思うわけです。

また、それとは逆に、「タブロー」を「イラスト側」の視点で見て、『なんか古臭い感じのスタイルだよねぇ』とか、『オシャレじゃない』とか、『重くて見ていて疲れる』などと言われることも多いと思いますが、そういうことも、「タブロー」の意味が一般的な鑑賞者に浸透していないところから、生じていることのような気がします。
(少なくとも、私自身は、最近までよくわかっていなかったような気がしています。)


「芸術の展示」を見る時に、こういう居心地の悪さを感じている人はけっこういると思うわけですが、それを口に出して言う人はあまりいませんから、いつまでたっても、そういう状況が続いて行くわけですね。


「イラスト風の絵画」が「タブロー」として扱われるケースは、日増しに増えていく一方という感じですが、やっぱり、言ってしまいますねぇ。

『チガウものはチガウ!』と。
(優劣ということではありませんよ!)


これは、おそらく絵を売る立場の人たちが作り出した状況だと思うわけです。

売る側からしたら、当然、「いろいろな絵」が売れた方が儲かるわけだし、一人の人が「いろいろな絵」を買ってくれれば売り上げ倍増なわけですから、『「抽象」も「具象」も両方同じように楽しめないといけない』し、『「タブロー」と「イラストレーション」を同列に扱わなければいけない』ということに成っていた方が都合がいいんでしょう。


まぁ、それは商売ですから仕方ないことだと思います。
(「芸術」が商売になっていること自体も、また別の意味で問題だと思いますけど)


でも、それだと「鑑賞者」がマンマと乗せられたことになってしまうわけですから、『いろんなタイプの絵が楽しめていいよね』ということでも無いと思うわけです。

やはり、そう言う商売だけで主体性のない画廊や、美術館としての方向性を打ち出していない企画などは、「鑑賞者」が拒否したり、批判したりする権利があると思うわけです。


一つの企画展で、と言うよりも、「美術館としての方針」がもっと要求されていいように思います。


いずれにしても、絵は「タブロー」であることに帰るべき時だと思います。
それでないと、「芸術としての絵」と言うジャンルは無く成って、「ファッション」や「デザイン」に吸収されてしまうでしょうね。

『何が悪いんだ?』と言われるかもしれませんが、やっぱり、言ってしまいますねぇ。

『チガウものはチガウ!』と。


そんな風にしか言いようがありませんね。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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