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「能力」よりも「使力」



「使力」と言う言葉なんて無いんですけど(たぶん)、つくってみました。


なんでつくったかと言うと、今の時代、どれだけの「力」を”持っているか”ということよりも、どれだけの「力」を”使えるか”ということの方が大事なんじゃないかと思うからなんですねぇ。


これは、すでにある言葉で言えば、「努力」に近いものですが、「努力」が「努力する」と言う「行動」を現すのに使われることが多いのに対して、「使力」は「持っている力を使う能力」という意味で、「やや特殊な能力である」と言う風に考えています。

つまり、「行動」と言うよりも、その「やや特殊な能力」自体を指しているわけですね。
言い換えるならば、「自己使役力」と言うようなものです。

これが大事だと思うわけです。


つまり、「どのような力を、どれだけ持っているか?」と言うことよりも、「その持っている力をどのように、どれだけ使えるか?」と言うことが大事なんじゃないかと思うわけですね。


たとえば、『努力も才能のうちだ』と言ったりしますけど、あれは、やや無理があって、「努力」と「才能」は対極的なモノだという固定観念が既に一般的になってしまっていますから、『努力も才能のうちだ』と言ってみても、結果的には「形だけ」と言うことに成ってしまうわけです。

やはり、「努力」と言う言葉だと、『それは能力ではない』と言う印象が付いて回ってしまうわけで、それを「能力の一種である」とするには無理があるような気がするわけです。


そこで、「使力」と言う言葉をつくってみたわけですが、これが、どう大事なのかと言うと、たとえば、スポーツなどで、スター・プレーヤーばかりを集めた「スーパー・スター軍団」みたいなのがありますけど、そういうチームが、必ずしも常勝ではないわけです。

おそらく、そのチームに足りないのが「使力」なんじゃないかと思うわけです。


間違いなく「能力」においては圧倒的なのに勝てないとすれば、その「能力」が使われていないということでしょう。


これまで、こういうところは「監督・コーチ」や「脇役的なプレーヤー」による「ツナギ効果」で、カバーされてきたわけですが、そういう「主役」と「脇役」を役割分担したやり方もあっていいとは思いますが、一人の人間の中に「能力」と「使力」があるというのも、考え方としてアリなんじゃないかと思うわけですね。


そして、一人の人間が、そういう「能力」と「使力」を併せ持っていることが、重要になっていくんじゃないかと思うわけです。


チーム・プレーのスポーツの場合、「脇役」の「ツナギ効果」もまた、面白さの一つになるでしょうが、同じスポーツでも個人競技の場合は、「脇役」に期待することは出来ないわけですし、スポーツ以外の個人的な分野(芸術など)においては、当然、一人の人間がやらなければならないことに成るわけですから、この「使力」と言うことを意識していくことで、「自分の能力」を最大限に引き出すことが出来れば、かなり、いいんじゃないかと思うわけですね。


とくに「芸術」においては、もはや、「能力」や「才能」でできることはネタが尽きていて、その領域がほとんど残っていないというのが現実だと思います。

そんな中で、この「使力」と言う方向性を如何に具体化できるかと言うことは、大事な鍵になっていくんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。



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