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「小さい絵」の必要性



先日も似た内容の記事を書いたんですが、私は、今の絵は大きくなりすぎていると思っているわけです。
(「絵」に限らず「芸術作品全般」に言えることだと思います)

さらに言えば、「小さい絵」の必要性を感じてきているわけなのです。

 ※ここで言うところの「小さい絵」とはキャンバスサイズで30号以下くらいのものを
  想定しています。
  べつに、米粒に顔を書くという話ではありません。

つまり、「小さい絵」で、如何に人の心を動かせるのかと言うことが重要になって来ているんじゃないだろうか?と思っているわけなのです。


「大きい絵」に限らず、「特殊な技法や素材を使った絵」などは、インパクトや物珍しさがあるので、それだけでも、人の心を惹きつける要素に成ります。

当然、その分「芸術作品」として人目を惹くのには有利なわけですが、その「有利さ」を使わずに人の心を動かせるということが、大事なことになって来ているんじゃないかと思うわけです。


当然のことなんですが、「芸術作品」による「感動」は「作品の大きさ」によって決まることは無いはずですし、また、そうあってはならないと思います。


そういう意味で、やや「大きい絵」に見飽きてきている現在、「小さい絵」の必要性が出てきているんじゃないかなと思うわけですね。


ここで、「大きい絵」とはどのくらいからなのか?ということがあるわけです。


まず、人間の本能的な反応として、自分の体の大きさに迫る大きさのモノに対して、「驚異」や「畏怖」を感じてしまうということがあると思うわけです。

そして、それを超える「大きさ」と言うのは、人間にとって「大きいモノ」と認識されることが多いような気がします。

そして、そういう否応なしに感じられてしまう「大きさのチカラ」と言うのは、出来るだけ、避けたほうがいいんじゃないか?ということですね。


また、そういった「物質的な大きさのチカラ」で言ったら、絶対に工業技術で作りだされるモノの方が「大きな力」を持っているんじゃないかと思うわけです。
(それ以前に、「自然」や「宇宙」には到底及びもつかないんですけどね)


要するに、一口に「感動」と言っていますけど、そこには「驚愕」や「畏怖」も含まれてしまっているわけで、それらが、みな「芸術による感動」だとも限らないということだと思います。


つまり、「大きさのチカラ」は「驚愕」や「畏怖」は生み出せるが、それらは、本当の意味での「芸術による感動」とは少し違うモノなんだと思うのです。


例えばの話、原始人にいきなりジャンボ・ジェットが飛んでいるのを見せたら、そりゃあ、ブッタマゲルに違いありません。
その線で言ったら、とうてい「芸術」などは太刀打ちできないと思うわけです。


そこで、『それは感動ではない!』と言い切ることは難しいでしょうが、『それは芸術による感動ではない!』と言い切ることは出来るような気がするわけです。


そういう「驚愕」や「畏怖」も、確かに「感動の一種」であるとは言えるのでしょうが、それは「芸術による感動」とは少し違うモノなんじゃないでしょうか?

だとすれば、「芸術」においては、そういう「驚愕」や「畏怖」のチカラをなるべく使わない方がイイような気がするわけです。


そう考えると、「芸術作品」を大きくするということには、もう少し慎重な態度が必要なんじゃないのかなと、そんな風に思うわけなのです。

もちろん、「芸術による感動」をより大きくするためには、「大きさのチカラ」を使ったっていいんじゃないか?と言う風にも思うわけですが、そこに頼ってはいけないんじゃないか?とも思うわけです。


そして「今の芸術作品」は、、そこに頼っている部分があるように思えるということですね。


私は、「芸術作品」と言うのは、「必然性のある大きさ」の範囲で「できるだけ小さく」と言うのが理想だと思っています。

つまり、『出来る限り精神的であるほうがイイ』と言うことですね。
その為には「できる限り物質性を排除したい」と言うわけです。


自分が「絵」をやっているから言うわけじゃないですけど、とくに「絵」の場合は、「大きさのチカラ」を使うことに慎重になった方がイイような気がしています。

「立体作品」の場合は、しょせん「物質」であることが前提なわけですから、「物質性」を排除することは出来ないわけですが、「絵」の場合は、「非物質的な平面世界」と言う「モノではないモノ」を表現媒体にしているわけで、せっかく与えられている、その「特殊な場所」の特徴を殺してしまうのはモッタイナイと思うんですね。


作者や鑑賞者にはその気がなくても、「作品」を大きくすれば、必ず「大きさ」が「チカラ」を持ってしまうわけで、結果的には、「絵」にも「物質性」が発生するような気がしますし、実際に、「絵を見たときに、「大きさのチカラ」で圧倒されることはよくあることだと思います。


出来れば、そういう「大きさのチカラ」に頼らずに、「絵のチカラ」で人を惹きつけたり、人の心を動かしたりしたいと思うわけですね。
そして、これは「芸術」が「より純粋な芸術」であるために、必要に成っていくことなんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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