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もしも「写真」が無かったら、「絵」はどうなっていたのだろう?



『もしも、「写真」が無かったら、「絵」はどうなっていたのだろう?』
これを、時々考えてしまうわけなのです。


「絵」は明らかに、「写真技術の登場」によって影響を受けたと思いますし、現在でも、まだ、「写真の影響」はかなり強いと思います。


もしも、「写真」と言うモノが、まったく初めから無かったら、当然、「絵」は現時点とは、かなり違うモノに成っていたんじゃないかと思うわけですね。

そして、更に言うと、その「写真が無かった時の絵」の方が、「絵の本来の姿」なんじゃないかとも思うわけです。

たとえば、「写実的な技術」一つとっても、「もしも、写真が無かったら」と言う前提で考えると、今でも、「写実画」には実用的な価値があるということに成ります。

「芸術」云々とは別の価値があるということですね。
つまり、「写実画」には「芸術」とは違う「別の位置」が与えられていたのかも知れないということです。


これだけでも、「絵の持っている意味」は、現在とだいぶ違ってくるでしょう。

 ※今、写実画を描いている人は、写真をもとにして描いていることが多いと思います。
  つまり、写真がないと、写実画もあり得ないものに成ってしまっているわけです。
  そう考えると、今の写実画とは「写真を写実した絵」ということになりますね。

  この「二重の写実」については、はなはだ疑問と言わざるを得ませんね。
  おそらく、これを二重~三重~四重と繰り返していけば、その絵と作者の関わりは
  希薄に成って行く一方だと思いますから。


さて、そこで、そんな「もしも、写真が無かったらの世界」で、「絵」はどんな風に成って行ったんだろうか?と考えてみるわけです。


と言ってはみたものの、全く見当もつかないというのが本音ですねぇ。
それだけ「写真」の「絵に対する影響」が大きいと言うことだと思います。

また、「写真の影響」が強くなってきた時期と(カラー写真の登場も含めて)、「芸術の20世紀」の中で、「芸術」自体の持つ意味が激変していった時期が、かなり重なり合っていることで、それはより一層「見当もつかないもの」に成っているんだと思います。


まぁ、それでも、これを空想してみることは面白そうなので、やや、無理矢理にでも、やってみようと思います。


まず、真っ先に頭に浮かぶことは、『写真が無くても、「抽象画」って本当に現れてきたんだろうか?』と言うことです。

おそらくは、「抽象画」は存在したでしょうし、それは「芸術の向かうべき方向」として、他に行き先が無かったでしょうから、きっと、「抽象画」は現れてきたんだと思います。


しかし、『「写真」が無かったとしても、「今と同じ抽象画」が存在していたのか?』と言うことに成ると、だいぶ話が違ってくるんじゃないだろうかと思うわけです。


もともと、「アカデミックな表現」に行き詰まりを感じていた「芸術」が、「写真技術の登場」によって、「抽象表現」に向かって急激に方向転換することに成ったことは間違いないことなんじゃないかと思います。


つまり、「抽象表現」自体と言うよりは、「急激」の部分が「写真の影響」だったんじゃないかと思うわけですね。
そして、その「急激」こそが、「芸術の20世紀」の「特徴」でもあり、その「本質」でもあると思うわけです。

ということは、「もしも、写真が無かったらの世界」における「抽象表現」とは、ある意味では「アンチ・芸術の20世紀的な抽象表現」であったのかも知れないということですね。


これが、私には興味があるわけですねぇ。

私は「芸術の20世紀」は「混迷」や「間違い」を非常に多く含んだ時代であると思っていますので、その「混迷」や「間違い」に晒されていない状態の「ピュアな抽象表現」とは、どんなものなんだろうか?と言うことに非常に興味があるわけです。


と言っても、その「ピュアな抽象」を『こんなモノに違いない!』と簡単にわかるわけがないですから、取り敢えず、想像してみるだけなんですけどね。


まず、考えられることは、「写真がある世界」における「絵」は、当然「写真では現せないようなモノ」を要求されるということです。
ところが、「写真のない世界」では、「写真で現せるかどうか」は関係なくなって、「より純粋に芸術を追求すること」が要求されるだろうということです。

そうなると、現在のように「非具象的なモノ」を「抽象」とする傾向は、かなり弱くなるんじゃないかと思います。
「非具象」=「写真で現せないモノ」ということの影響が大きかったのは間違いのないことだと思いますからね。

「具象ではない」と言うことが強調され過ぎたことは、「芸術の20世紀」における「間違い」の一つだと思いますので、そこが、弱く成れば、「具象」と「抽象」の間の壁が、少し低くなって、少しだけ、自由になれるような気がします。


このこと一つとっても、「もしも、写真が無かったら」と言うことを考えることは、無駄にはならないような気がします。


まぁ、長くなってしまうので、それに、たいして具体的なことも思いつかないので、この辺でやめておきますけど、『もしも、写真がなかっら・・・・・』は面白いテーマだと思いますので、これからもろいろ考えてみようかなと。

そんな風に思っています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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