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「科学」とはいったいナニなのか?



「科学」という言葉は普段何の気なしに使っているんですが、はたして「科学の本当の実体」ってナニなのだろうかと考えてみたわけです。


「科学」は一般に『わからないことを研究してわかるようにするものだ』と考えられていると思いますけど、私は『科学とはその時点で、既にわかっていることだ』と思うわけです。


確かに、「わからないこと」を研究するのも「科学」なんでしょうが、「科学」における「研究」と言うのは、必ず「わかっていること」を使って行わなければいけないというルールに成っていますから、やはり「わかっていること」が前提に成っているわけですね。

だから、私は『科学とはその時点で、既にわかっていることだ』と思うわけです。


それに対して「その時点で、わからないこと」は「神秘や不思議」で、でそれは「非科学」ということに成るわけですね。

当然、「わからないこと」がわかるようになった場合は、例え、それが、それまではどんなに神秘的で不思議なことだったとしても、わかったトタンに「神秘や不思議」ではなくなって「科学」に成るというわけです。


ところが、これは、まったく逆のことも言えて、「わかっていると思われていること」が何かのきっかけでわからなく成ったり不確かに成ったりすると、それは、その瞬間から「科学」ではなくなってしまうわけなのです。

そして、更に言えば、ありとあらゆることに置いて、「今わかっていること」でも、それが続くとは限りませんし、「今わからないこと」でも、いつかはわかるかもしれないわけです。

しかも、それらが、また元の「わかっていること」や「わからないこと」に戻ることもあるわけですから、すべてのことが、「科学」と「神秘や不思議」の間を行ったり来たりしているわけで、そこには「絶対的な法則」のようなものは存在しないのかも知れませんね。


たとえば、現在の視点で見た場合、如何にも「絶対的な法則」であるように見える、「物理法則」なども、人間には計り知れないようなとてつもなく長い時間の果てには、変わってしまうのかも知れませんし、実を言えば、それは「果てしない時間」の問題ではなくて、たまたま、それが「わかったり」、「わからなく成ったり」するというだけのことだと思います。

つまり、現時点においても「その変化」は潜在的に内包されているということだと思うわけです。


それで、取り敢えず、「今わかっていること」を「科学」と言っているわけですが、その「今わかっていること」の中には、常に潜在的に「わからなくなる可能性」が有りますから、

「科学」は「神秘や不思議」を内包しているということに成ります。
ということは、つまり、「科学」と「非科学」は常に両立しているということに成るわけです。

こうなると、もう「科学」と「非科学」を分ける意味もないのかも知れませんが、それだと、ほとんどの話ができなく成ってしまうので、便宜上「今わかってることに成っていること」を「科学」と呼んでいるわけです。

そして、そういう「わかっていること」を前提に置くことで、人と話をすることが出来るようになっているんだと思います。


だから、「科学」には「それなりの価値」があると思いますし、「それ以上の価値」は無いと思います。
これは「神秘や不思議」も同じですね。

対等ですから。


話しが回りくどいわりに、それだけです。




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