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すべての「宗教」は「相似形」なのか?



世のなかにはいろいろな宗教があるわけですが、実は、「宗教」と言うのは、すべて「相似形」であって、本質的には同じものだと思うわけです。


もちろん、「その宗教」を信仰している人にとっては、『そんなことは無い!私の信じている「神」以外の「神」など居るはずがないのだから』ということに成るんでしょうが、そういうこと自体が、ほとんどの「宗教」でいわれることなわけで、

そういうところも含めて「相似形」だなと思うわけですね。


と言っても、最近の傾向としては、

「宗教」の側でも、『宗教は相似形である』ということをむしろ積極的に認めているという感じもするわけです。

少なくとも、とくにカルト的な性質の団体や原理主義的な傾向の宗派以外の、比較的大規模な「宗教」や「宗派」では、自分たちとは「チガウ信仰」も認めていこうという流れに成っているようですし、それどころか、「チガウ神」ですら、お互いに尊重していこうとする傾向があるように思えます。
(それで争い事は減っているのかも知れません)


これは、要するに、『そこに「神」がいて、それを「信仰」する人が居れば、それはみな同じことなのだ!』ということなんじゃないかと思うわけです。


ただ、ここで一つ問題があって、先述の「カルト教」や「原理主義」ですね。
これらも含めて、「相似形」なのか、それとも、「そういうのだけは別」なのかということです。


少なくとも「カルト」や「原理主義」の側ではそれを認めないでしょうし、「リベラルな宗派」の側でも、「カルト」や「暴力的な原理主義者」とは一線を画しておきたいということがあるでしょうから、

やはり、今のところ「そういうのだけは別」が主流なんだと思います。


でも、そういうことは、「宗教」の「本質」における問題と言うよりは「実践」における問題でしょうから、おおむね、「宗教」は「相似形」であるといってもいいような気がするわけです。


「宗教」が「相似形」であるという前提で言えば、もはや「教典」も「細かい教義」も必要ないはずですし、要は、そこに「何らかの神」がいて、人間に「信仰心」があればそれだけで十分なハズです。


そして、こんなことを表すために出て来たのが「スピリチュアル」と言うモノだと思うわけです。


誤解のないように言っておくと、私は「スピリチュアル」の考え方にも、それを信じていらっしゃる方々にも、おおむね、好感を持っていて、決して「やめちまえ!」と思っているわけではありません。
これは、他の「宗教」についても、ほぼ同じです。


そういう前提で言うことなんですけど、『それでもまだ「絶対的なナニカへの信仰」は必要なのでしょうか?』


「絶対性」と言うよりも「不完全性」、「信仰」と言うよりも「愛着」では足りないでしょうか?


取り敢えず、自分のことで言うと、「不完全な人間の愛着」で十分すぎるくらいに満足しています。
だから「絶対的なモノ」や「完全な愛」の必要は感じません。


今のところ、そういう感じでやっておりますです。はい。




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