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「異現実の世界」



一つの考え方として、「芸術」とは「異現実の世界を創り出すこと」なんだと思っているわけです。


なんで「非現実」ではなくて「異現実」と言うかというと、「非現実」と言うと「現実離れした」とか「現実には有り得ないような」というようなイメージがあって、どうしても「奇をてらったモノを狙う」というニュアンスが含まれてしまうような気がするわけですね。

その「奇をてらった」を避けるために、この「異現実」という言葉を使っています。


「異現実」の方は、「今見ている現実」とは異なるものであるが、ある種の「現実感を伴ったモノ」というイメージで考えております。

つまり、「現実離れしたモノ」や「有り得ないモノ」ではなくて、「ミョーに現実的なモノ」とか「ナゼか有り得るような気がしてくるモノ」と言った感じです。

でも、「異現実」と言ってみたところで、その辺のところがどれほど違うのかわかりませんけど、一応自分なりに、そんな風に言っているということですね。


そして、そういう「異現実の世界」を創り出すことが「芸術」だとも言えるんじゃないかと思っているわけです。


さらに言うと、私の場合は、その「異現実の世界」を「鑑賞者」に見せるだけではなく、「鑑賞者」に、その「異現実の世界」の中に入って来てもらいたいと考えているわけです。

つまり、外から眺めるのではなく、作品世界の中に入って見てもらおうというわけです。


実際、人が「芸術作品」に感動する時と言うのは、多くの場合、無意識のうちに「その作品の世界」の中に鑑賞者が入り込んでいて、その中で「作品の世界感」を共有出来ている時なんじゃないかと思うわけです。

そういうわけで、私の場合は出来るだけ「絵の世界」に入って行き易くなるように、「入り口」として絵の中に「枠」を設定しているというわけです。

 ※これは「物語り」で言うところの「枠物語」(『アラビアン・ナイト』に代表されるような)
  に近いもので、「異現実の世界」への「入り口」に当たるものだと思っています。

つまり、いきなり見せられたら「違和感」を感じるようなものでも、「枠」を通って、「異現実の世界」の中に入ってしまえば、「違和感」よりも、むしろ「臨場感」を感じられるんじゃないかと思うわけです。

そして、そういうところで生まれる、チョット違う「現実感」を「異現実感」と呼んでいるわけなのです。


この手法を取ることで、本来ならば「リアリティ」を感じられないようなモノに「ミョーなリアリティ」が生まれてくれれば面白くなるんじゃないのかなと思っているわけですね。


いずれにしても、いろんな人が持っている「異現実の世界」を見せ合うような、そんな「芸術感」が一般的に成っていけば、きっと「芸術」はもっと楽しい分野に成っていくんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。




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