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「物語り」が機能しなくなってきている



もともと、「物語り」というものは、「人間の行動上の欠点」を補正するために、人間自身が、果てしなく長い歴史を繰り返す中から作り出した「人間矯正ツール」だと思うわけです。


世界中にある「民話」も「アラビアン・ナイト」も「ギリシャ神話」も、それどころか、諸々の「宗教の教典」なども含めて、「すべての物語りという形式」は、この「人間自身による自己補正機能」という性質を持っていると思うのです。


しかし、現在、その「物語りの機能」が働かなくなってきているんじゃないか?と思うわけなのです。


このことに限らず、私は「芸術の20世紀」において、「芸術における規定」が破壊されたことの影響があらゆることに及んでいて、それこそ、ありとあらゆることの「規定」が崩壊しつつあるという風に思うわけです。

「規定」が崩壊してしまうと、「勧善懲悪」や「純愛」や「人情の機微」と言った、これまで「物語りの王道」であったものがすべて成り立たなくなってしまいます。

つまり、「勧善懲悪」を読んでも「わざとらしさ」しか感じられなくなり、「純愛物語」を読めば「有り得ない」と思うようになり、「人情味あふれる話」は「ウットーシイから遠ざける」ようになってしまうわけです。


これまでは、なんとかかんとか「物語り作家」たちの四苦八苦の「ストーリー・テリング」によって、そういった「イワユル王道」にヒネリを加えて、「王道を外しているようでいて外していないような」という感じの絶妙な位置で、「物語り」を成り立たせてきたんだと思います。

しかし、そろそろ、それも通じなくなってきていて、作家がせっかくそういう絶妙さで内容のある「物語り」を創作しても、読む側が、その内容の部分だけを排除して読むようになってきているような気がするわけです。

要するに、その「内容の部分」と言うのが、「物語りの機能」と言うことなんだと思います。


おそらく、「規定」が崩壊した「現実社会」の中で生活している人たちにとって、「物語り」の中の「人間補正機能」の部分が受け入れられないんだと思います。

一言で言えば、「お説教」のように感じるんでしょうね。
(まぁ、「人間矯正ツール」なわけですから、「お説教」でもあるんでしょうね)


「現実社会」では「規定」が崩壊しつつありますから、そこで生活している人たちは、当然その余波を受けているわけで、そこでは、「勧善懲悪」も「純愛」も通りませんし、ましてや「人情」などは粉々に破壊されてしまって、『本当に、そんなものがかつて存在していたのか?』というようなありさまですから、いくら「物語り」の中とは言え、そういうものを「有り得ない」と思うのは当たり前でしょう。

でも、そこを「補正」してきたのが「物語りの機能」だったわけですから、現実では有り得ないことでも「物語り」の中で読むと、それが有り得るような気がしてきて、結果的に「人間の行動上の欠点」が補正されてきたわけです。

でも、現在の社会にドップリとつかって生きている人たちにとっては、もはや、そんなおおらかな気持ちはなく、『取り敢えず見たくないものは見ない』という方を選択する人がだいぶ増えているように思います。


そして、そういう読者の姿勢が「物語り作家」の側にも反映してきていて、結果的に「作家」の側も「補正機能」を排除した「物語り」を書くようになってきていると言えば言い過ぎでしょうか?
(無意識にやっている場合が多いとは思いますけど)


この状態を招いたのは「芸術(美術)」の責任だと、私は思っていますが、「物語り作家」もこの状態を受け入れてはいけないように思うのですがどうなんでしょう?


いま、「物語り作家」は「世の中から嫌われるような物語」を書く必要があると思います。
「作家」は「優等生」や「イイ人」で居てはいけないような気がします。
(「美術」でも同じことが言えると思います)

 ※『優等生ではいけない』と言うと、「奇をてらったモノ」を思い浮かべる人が居るの
  かも知れませんが、実は今一番”嫌われている”のは「普通のモノ」です。
       
  つまり、現在においては「奇をてらったモノ」や「人の気持ちの裏をかくようなモノ」
  の方が、むしろ、「優等生的」であり「イイ人的」であって、「真っ当なモノ」や「真面
  目なモノ」こそが、最も現代人の感情をサカナデするわけです。

  「人の感情をサカナデすること」を推奨しているわけではなく、「マトモ」を「サカナ
  デ」と感じる状態が異常なわけで、その「異常」に流されることは、「芸術」や「文
  学」という立場においては、イイとは言えないだろうというようなことです。
      
そうやって、「現在」に対して苦言を呈することが、「物語りの機能」を有効にして、その「物語り」を後世に残るようなものにすることにつながるんじゃないのかなと。


そういう風に思いますです。ハイ。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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