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「単焦点画」と「多焦点画」



「絵」には「単焦点画」と「多焦点画」があると思っています。


私が「単焦点画」と「多焦点画」と言っているのには、二通りの意味があって、一つは、絵を描く側の「単焦点画」と「多焦点画」で、もう一つは、見る側の「単焦点画」と「多焦点画」です。


描く側の「単焦点画」と「多焦点画」とは、絵の中に複数の「消失点」を設定して描くということです。
(こういうことは構図的にかなり昔から研究されていることだと思います)


たとえば、大きな絵の右端を見る時と左端を見る時では、鑑賞者の視線の角度はかなり違ってきます。

そういう場合に、右端に描き込むものは右端を見る時の視線の方向に合わせて描くと言うのが「多焦点画」です。
ただ、背景など焦点をずらすのが難しい部分もありますし、複数の消失点を設定した場合に、そのツナギ目をどう処理するのか?という問題もあるので、まぁ、そういう意識をもって描くという程度のことなりますけどね。

一方、そういうこととは無関係に一つの視点から一つの視線の角度で見た場合だけを考えて描くのが「単焦点画」だと思っています。


見る側の「単焦点画」と「多焦点画」というのは、そういう「視点」や「視線」の変化を考慮に入れて見るか否かということに成ります。


例えば、「群像図」を見るとき、中央に描かれた主役を中心に見て、他の人物はあくまで主役を盛り上げるための脇役(というか端役?)であると考えれば、それは、その絵を「単焦点画」として見ていることに成りますし、端の方に描かれた人物にも注意を向けて、そちらにも一つの独立したストーリーを見出そうとするような見方をするのであれば、それは、その絵を「多焦点画」として見ているということに成るわけです。


まぁ、実際には「多焦点画」として描かれた絵を見るときは、鑑賞者の視点が、その絵を「多焦点画」として見る方向に誘導されて、結果的には見る側でも「多焦点的な見方」をするようになるというように、この双方は一致している場合が多いと思います。


さて、ここで何が言いたいかと言うと、私の場合は、描く側としても見る側としても「単焦点画」を目指していきたいということなわけです。

先日、「一瞥の力」という記事にも書いたんですけど、人が「芸術」で感動するときと言うのは、ほとんどの場合、「一瞬の一瞥」によって感動しているんじゃないかと思うわけです。


要するに、一瞬で「スパンッ!」と入ってきたものですね。
そうなると、やっぱり「単焦点画」の方が適しているように思うわけですね。


もちろん、それでいて長く見ていて視線が彷徨う間も、飽きが来ないのであれば、それは、もう、言うことないと思いますけどね。

その点については、「焦点」とは無関係な、色や明暗の対比とか、筆触やマチエールの面白さなど、いわゆる「絵のディテール」の部分で、彷徨う視線を楽しませることが出来ればいいんじゃないかと思います。


そちらの話はともかくとして、とにかく、「一瞬で見る人の中に入って行けるような絵」を目指しているわけです。
そして、そうなると、絵があまり大きくない方がイイと言うことが出てくるわけです。


先ほどの「多焦点画」についての話からも分かるように、絵が大きいと、どうしても鑑賞者の視線の角度が大きく変わってしまうということが出てくるわけです。

それから、絵が大きく成ると必然的に絵の中の要素の一つ一つもそれぞれ大きくなりますから、全体が「群像化」する傾向があるわけです。

そうすると、どうしても鑑賞者の視線が、その一つ一つの要素に留まる傾向があるわけですね。
それで、「一瞬の一瞥」の力が弱くなるような気がするわけです。


単純に言って、人間の左右の瞳の間の距離は、たった数㎝ですから(いま自分の目で計ったら6㎝強でした)、その左右の眼の視野の角度を重ね合わせた範囲は、個人差があるにしても、それほど広い範囲ではないと思います。


また、人間の眼は焦点を絞って対象物を見ようとするときに、両眼の視野が重なり合った範囲の中心部分で対象物を捉えようとしますから、焦点を絞ってみている範囲と言うのはかなり狭い範囲に成りますし、そういう時に、周りがどの程度の範囲まで見えているかと言えば、そちらも、あまり広範囲に見えているとは言えないように思います。
(漠然とモノを見ているときには、広い範囲が見えていると思いますが)


と言っても、実際は人間の目の「視野」にはかなり広角な範囲があるのも事実ですから、ある程度は大きくても問題ないんですが、やはり一定の大きさを超えると、視線の角度を変えてみるようになると思います。

まぁ、離れて見れば、大きな絵でもあまり視線を動かさないで見ることは出来るわけですが、それだと、大きい絵を描いた意味がほとんど無く成ってしまうような気もします。
(大きい絵の方が細部が”見やすい”し”描きやすい”ということはありますが)


いずれにしても、絵が大きいことに、大した意味はないと思っているので、小さくても力のある絵を描いていきたいと思っているわけです。

そして、それが「一瞬の一瞥の力」を生み出すと思うわけなのです。


これからは、「小さい絵の時代」が来ると思っているので、それには、この「単焦点画」と「多焦点画」と言うことを、ある程度意識していたほうがイイんじゃないのかなと。

まぁ、そんなことを思ったわけなのです。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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